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「その研究で何に挑もうとしていますか?」

実践研究に取り組む院生が「研究」の感覚をつかんでいるかは、
「その研究で何に挑もうとしていますか?」
という質問にどう答えるかで、だいたい分かる気がする。

「生徒がみな熱中する物理の授業にチャレンジしたい」
「中学校数学科における『個別最適な学び』の実現に挑みたい」
「『深い学び』をもたらすためにファシリテーションの活用に挑みたい」

みたいな答えが返ってきたら、研究の感覚がつかめていない。
実践上の「◯◯したい!」という願いが、そのまま研究上の問題設定と一体化してしまっている。

一方、研究の感覚をつかんでくると、次のような言い方になる。

「今までは、単元導入時の診断的評価に関しても『本質的な問い』を用いればよいとされてきたが、はたしてそうなのか。それで本当に診断的評価の役割を果たせるのか。実践を通じて検討したい。」

「数学科ではこれまでも、仮説を立てて検証する数学的活動の重要性が言われてきたが、それが1サイクルにとどまっていた。しかし、本来、仮説を立てて検証することの意義を実感するためには、仮説が否定されてもう一度仮説を立て直して検証するというように、2サイクル以上が必要なのではないか。そうした教材の開発を行い、実践を通じて検討したい」

これらは、もちろん、細かくて具体的というのもあるが、それ以上に大事なのは、ここで「挑む」対象になっているのは、その分野におけるこれまでの通念であるということ。
1つ目のだと、「『本質的な問い』を使って尋ねることで単元導入時の診断的評価ができる」という通念に対して。
2つ目のだと、「仮説を立てて検証する数学的活動は1サイクルで十分である」という通念に対して。

そして、「挑む」の意味も異なっていて、先ほどの、研究の感覚をつかんでいない場合のパターンだと、実践そのものが「挑む」対象であり、「取り組む」という意味を表す。一方、研究の感覚をつかんでいる場合のパターンだと、その分野の通念に対して「挑む」、つまり、「疑問を投げかける」という意味を表す。英語のchallengeは、例えばchallenge the notionだと、「その考えの実現に努める」ではなく「その考えを反駁する」だが、それと同じ語法のイメージだ。

実践研究とは、実践に励むことそのものではなく、その実践的な試みを通して、何かを明らかにしたり何かに疑問を投げかけたりするもの
これを別の角度から言い表すと、研究の文脈に自らの実践を位置付ける、あるいは、研究上の問いを設定する、といったことになる。
これをどうやって院生らにつかんでいってもらうか。


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