歯切れの悪さによってこそ語れるもの 〜大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』
大学の同僚・大村龍太郎さんの初の単著が出た(ちなみに私とは同い年)。
大村龍太郎『クラウド環境の本質を活かす学級・授業づくり』明治図書、2023年
世の中には、「スパッと言い切る」系の教育書があふれている。
一方、本書はそれらと比べると、歯切れが悪い。
例えば、学習計画を各自で立ててそれを共有し合ううえでのクラウドの有用性を述べたうえで、
として、そうした子どもについても、「私の計画が参考になるならどうぞ」という子と同様に尊重されるべきと説く。
また、紙かデジタルか、口頭での直接対話かチャットでの文字対話か、個別か協働か、自己決定か他者の提案の受け入れかといった、教育界で二項対立的に語られやすいものに言及し、どちらか一方に振れるのではないあり方の重要性を主張する(しかも、単なる「バランスが大事」に陥らない形で)。
もしかすると、こうしたスタンスは読者からは「分かりにくい」と思われるかもしれない。けれども、こうした文章が大事に読まれたらよいなと思う。いや、むしろ、こうした書き方こそ、「現場の実情を理解してくれている」と共感を呼ぶのかな(そう願いたい)。
これらの根底には、大村さんの
という発想がある。「教育方法学」を専門とする著者が「道具」に焦点を合わせて書いた本でありながら、だ。
このスタンスは、同じ専門である私も共有するものであり、心強い。
大学で一緒に仕事をする(グループゼミで毎週ご一緒している)なかで痛感することだが、大村さんは、私のようにむやみに毒を吐いたり喧嘩を売ったりせず、語り口が穏やかだ(一言で言えば、私より人間ができている)。
とはいえ、本書もよく読むと、なかなかに大村さんの強い思いが感じられる文面もあって、そこが面白い。
とか。
あと、道具の普及に関して、体験してみないと言葉の説明だけではなかなか伝わらないということを述べたうえで、
と述べているのだが、それを地で行くかのごとく、本書には、一切の図表がない。
これが、最近の、やたらとそれっぽい図(「ポンチ絵文化」からの波及!?)を並べる風潮に対する無言の抗議のようにも読めて、面白かった。
第3章「クラウド環境を活かした授業づくりの考え方」では、「クラウド環境を○○科の学びに活かす」という形で、さまざまな教科・領域での具体的な発想の仕方や工夫について述べている。
クラウド環境を使って、「事実の共有、理解の相互促進、議論の深まり」(p.168)を通して社会科の学びに役立てるありようとか、たしかに興味深い。が、一方で、私もいろいろな授業を見てきて実感することだが、見た目のうえでは同じように端末&クラウド環境を使っているようなのに、そこでの学びの深さに歴然とした違いがある場合もある。もちろん、これはクラウドの場合だけでなく、例えば、「ジグソー学習」みたいな同じ協同学習の形式を使っていても、深まるものと深まらないものの違いがあるのと同型だ。
もっとも、だからこそ、欲を言うなら、「授業マニア」たる大村さんが、こうした違い(うまく形態を活かしているものと「うーんちょっと違うんだよな…」というものとの違い)をどう見ているのか、クラウド活用で陥りやすい失敗パターンみたいなものがあるのかといった点も、さらに踏み込んで聞かせてもらいたかったところ。
とはいえ、そこは、模索の過程で不可避的に生じるものとして、あえて、スルーしているのかもしれない。
いずれにせよ、端末活用、どんどんやったるゼイ!という先生にも、なんだかなあと冷ややかに見ている先生にも、どっちにも読んでもらいたい本だ。
それにしても、この本、装丁や紙面の雰囲気は、明治図書っぽくなく、東洋館チックだなあ。あの明治図書もだいぶ雰囲気変わりましたね。本文中の強調にゴシック網掛け多用してるし。なお、だからというわけでもないけれど、今回のこのレビューでの本書からの引用は、すべて、ゴシック網掛けのない明朝体本文からのものです。
追記
上記レビューの、学びの深さの違いに関する投げかけに対して、大村さんが、舞台裏を聞かせてくださった。
ということだそう。
が、同時に、
とも言っておられるので、議論の機会が楽しみだ。
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