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「子どものほうが知ってるなあと思って実践してました」

縁あってこれまでも研究の相談に乗ってきた(演劇的手法と音読を通して教材の探究を一緒に行ってきた)学内の別のコースの院生が、9月に実習校で行った小5国語「たずねびと」(朽木祥・作)の実践について、研究室に話しに来てくれた。研究の中核として位置づく予定の実践だ。

そのなかで彼女がもらしたのが、

子どものほうが知ってるなあと思って実践してました

という言葉。
音読について、作品について、授業をすることを通して子どもたちからいろいろ気付かされていったらしい。
もちろん、それは、彼女の事前の準備や教材研究が不十分だったということではない。むしろ、それらを十分に行っていたからこそキャッチできる子どもの考えであり捉え方だろう。

こうした発見や喜びが伴わない実践研究は、きっとつまらないものだと私は思う。研究を行う本人にとってもそれを受けとる人にとっても。
けれども、こうした「子どもに教えられる」的な側面は、「カチッとした研究」を求める研究観によって、まさに、実践研究から削ぎ落とされていく部分だ。教師がこれこれの手立てを講じて、これこれの効果があった、といった図式のほうが「研究」としてはまとめやすい。
こうした発見や喜びをこそ大事にできるような、実践研究のあり方が要る。

【参考】
教師による実践研究のあり方をめぐっては、下記書籍所収の拙稿「「仮説-検証」という呪縛 ―教師による「研究」を問い直す」もどうぞ。


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