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「研究」がわからない

教職大学院では、(本学の場合は)「課題研究」が修了要件に組み込まれている。従来の修士課程における「修士論文」に相当するもので、より実践的な志向性をもつものとして扱われている。
これには、専門職大学院である教職大学院においても(あるいは、だからこそ)、「研究」ができる実践者を育てることが大事という発想が背後にある。ステンハウスの「研究者としての教師(teacher as researcher)」論を持ち出すまでもなく、「研究」と切り離さずに教師の仕事を捉える発想は、国際的な趨勢だ。

さて、そのように教職大学院において「研究」は重視されているわけだが、例年、入学してきた院生らはこの「研究」のイメージをつかむのに苦労する。
「研究」がわからない、という教職大学院生は、大きく次の4つのタイプに分かれる。

①「勉強」との違いがわからない
②「施策実現」との違いがわからない
③「実践」との違いがわからない
④ 理系的「研究」との違いがわからない

①は、まじめに勉強して生きてきた(それ自体は素晴らしいことだ)学卒院生に多い。興味をもったことについて調べてまとめはするけれども、本人なりの問題意識やらこだわりやらがはっきりしないため、問い(research question)が立てられない。

②は、主に現職院生で、文科省や教育委員会などから示される「これからは○○が必要だ」「○○を推進していくことが大切だ」の実施に努めることを「研究」だと考えているパターン。自身の問題意識をもたないまま、「上」から求められることをあの手この手で実現させようとする。

③は、継続的な実習に行き始めた学卒院生と、現職院生に多い。実践で「こんなことやってみたい!」ということと、問いを立てることとの区別がつかない。つまり、その実践を通して、どんな文脈上でどんな問題提起をするかということが判然としない。このタイプでは、研究をまとめるときにも、考察が、問いに対する考察ではなく、実践の反省点のようになりがち。

④は、理系の研究室出身の院生に多い。研究室ごとに「ボス」がいて、その下で、定められた研究方法を用いて、場合によっては研究テーマも与えられて、何かしらの知見を導き出す活動を行う(これ自体、畑違いの私による勝手なイメージである可能性もあるのだが)。それを経験してきたため、自分で問いを立てることが求められ方法論も定まらないなかでの教育分野での研究は、なんとも捉えどころのないもののように(あるいは、必要な指導が教員から受けられていないように)思える。

このように、教職大学院での研究指導をめぐっては、大学教育一般にかかわる問題(①)、行政施策との関係(専門職としての自律性)にかかわる問題(②)もあれば、教育分野での実践研究、実践者による実践研究の性質にかかわる問題(③や④)もある。
しかも、教育分野での実践研究、実践者による実践研究とはなんぞやという問題は、実際のところ、教育系の学会においても、未だ解決されていない(先日登壇した教育方法学会の企画も、「教育実践研究」をテーマにするものだった)。だからよけい、問題が錯綜するし、院生らの混迷度合いも増す。

実践研究のあり方に関して、私自身考えて提起する必要があるし、実際多少なりとも行ってきた。一方、院生らにも、この状況を包み隠さず伝える、つまり、

実践研究のあり方について悩んでいるのはみなさんだけではないし、むしろ、今の日本の教育界での一つの課題だから、「どこかに答えがあってそれに従えばよい」とは思わず、実践研究のあり方そのものを模索することも含めて、研究に取り組んでいきましょう。

と呼びかけることが必要だ。

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