パリが好きだった人と、もう二度と会えないかもしれない話(後編)

そんな風にして、髪を切る時はいつもその代官山の美容院に行くことにしていた。

ちなみにその人は、とても物静かで、芯が強く、太い人だった。そして何より、美容師という職業に誇りを持ちながらも、その商業性と自身の求めるスタイルの中で、いつも葛藤していたように思う。

これは彼とは別の、友人の美容師が言っていたことなのだが、美容師とお客さんとの関係は、場合によっては何十年と続くこともあり、それこそ学校の先生や友達、会社の同僚より長く付き合うことになる場合もあるそうだ。確かにそうだと思った。高校二年生で出会ってから高校卒業、浪人、大学の四年間、さらには就職後も付き合うことになったのだから。十年以上付き合い、定期的に会うという関係は、友人や会社の同僚以外ではそう多くないのではないか。とにかく、それだけ長く付き合っていたのである。

そして、終わりは突然訪れるものである。なんの前触れもなく。

2015年の年明けだっただろう。当時通っていた社会人大学院の修士論文執筆に向けて、研究結果の精査や取り溜めたデータの整理、またプレゼンテーションの準備等、本来の仕事以外の部分で多忙を極めていた僕は(自分で選んだわけだけれど)、それでもこの美容室に通い、つかの間の癒しのような時間・空間を楽しんでいた。年明け1回目の来店では、だいたい新年の挨拶をし、正月の過ごし方をお互いに話し合ったりした。その時の会話でも、いつもと変わったようなところは全くなかった。閉店を知ってから反芻してみても、そのような節はなかったと思う。これであったとしたら、僕は相当鈍感な人間だろう。否定はしないけど。

ともかく、結局はその年明けの来店が最後になってしまった。

桜の花びらが満開を迎える少し前、そろそろ髪を切ろうと、彼にメールを送る。数年前から、予約はメールで行うようになっていた。プロモーションをあまり好まない彼は、いわゆる美容系サイトからの予約の類は一切行なっていなかった。

最初にこちらから示した日時は、あいにく予約で埋まっている。それ以外の時間帯だと、僕の予定が合わない。であればまた連絡します、と言い、その時のやりとりは終えた。

それから数日後、別の日にちで空いている時間を聞いたところ「申し訳ございません、今週はもう予約を承ってないんですよ」との返信がきた。この時は、あぁもう今週は予約でいっぱいなのか、と思ったのだが、今思えば、文字どおり「予約を承っていない」のだ。

「ではまた連絡します」

そう返信した翌週、今度はメールではなく電話をかけてみた。もちろん番号は登録している。

「お客様がおかけになった番号は、現在使われておりません」

あれ、番号変わったのかな、いやそんなことないでしょ。もう一度かけてみたが、繋がらなかった。

彼はたまにblogを書いていたので、僕もたまにその美容院のwebサイトをチェックして、blogを読んだことがあった。しかし、本当に「たまに」だった。

そして、何かあったのかなぁ、くらいの気持ちで数ヶ月ぶりにそのwebサイトを見てみた。

TOP画面は変わらないが、blogが更新されていたので、見に行くと、数週間前のエントリーで、3月いっぱいで閉店するということが書いてあった。閉店理由等は書いておらず、ただ今までありがとうございましたとだけ書いてあった。

そっか、そういうことだったのか。だからもう予約ができなかったのか。でも何故?どうして閉店したのか。そして、何故閉店することを、僕には直接伝えてくれなかったのか。十年以上もお世話になっているのに。その時の怒りともなんとも言えないもどかしさのようなものは、今でもたまに思い出す。

ただ、きっと彼のことなので、それなりに考えていること、思うことがあり、次のステージに向かったのだろう。そう思うしかなかった。

もしかしたら、採算が合わなくなって閉店せざるを得なくなったのかもしれない。こればかりは、もうわからない。そして、それを知るすべも、もうない。

彼のblogに、過去に興味深いエントリーがあった。同じビル内に店舗を構える小料理屋さんの店主が、いつも冷たいのだそうだった。不思議に思った彼は思い切ってその店主の店に飲みに行き、その理由を聞いたそうだ。そしてその理由が「仲良くなった途端、みんな出て行ってしまうから」だったそうだ。

ただ、その美容院は今までのテナントに比べて長くいたので、ようやく仲良くなったというか、安心したのだそうだ。

そして、その美容院も行ってしまった。小料理屋さんの店主は、その時何を思っただろう。きっと僕なんかよりも複雑な気持ちに違いない。

兎にも角にも、そのようにして僕と彼の関係は、突然の幕引きを迎えたことにある。

彼は僕の実家の住所や携帯の電話番号を知っているが、僕は店舗情報しか知らないので、もはや連絡する術はない。

最初のうちは何が起こったのか理解できず、というより何故、どうして?という気持ちばかりだったのだが、そのうち現実に戻ってきた。髪を切らなくてはならない。しかし、今まで十年以上も同じ人に切ってもらっていたため、今更新しい美容院を探すは至難の業だった。何をおおげさな、と思うかもしれない。しかし、一度気に入ったらよほどのことがない限り変えることのない僕の性格からして、それは非常に困難だった。

とりあえず近くの美容院や、ちょうどいいタイミングだから床屋にしようとも考えて、電話で予約を取って訪問する。しかし、当たり前のことだが初めてのお店なので、自己紹介というか、僕のバックグラウンドみたいなものをかい摘んで話さなければならない。どちらかというと人見知りな僕は必要がなければあまり他人と積極的にコミュニケートしたくはないので、これが思いの外、辛かった。そして、どこで散髪してもらっても、どうしてもしっくりこないのだ。「しっくりこない」という表現がこれほどしっくりくることは、もうしばらくないだろう。テクニック的はところは僕にはわからない部分もあるが、だいたい散髪なんて自己満足というか、僕がよければそれでよかった。

また、彼は流行を追うタイプではなく、それよりもお客さん一人ひとりにあったスタイルを提供したいタイプだった。それが、僕が彼のところに通い続けた理由の一つでもあった。高校生くらいまでは流行の髪型なんかを気にしていたが、大学生の終わりくらいからだろう、それよりも自分にあったスタイルを心がけるようになった。結局のところその方が、たとえ似合わなくても本人は満足なのだ。

他の美容院では、なんとかして流行を取り入れようとする節があり、それがはっきり行って重荷というか、正直迷惑なこともあった。もちろんそうではない美容師の方もたくさんいらっしゃるのだが。

そんなこんなで、いくつかの美容院と床屋を経由して、今は友人が経営している美容院に通っている。通っているといっても、まだ二回しか行っていない。今の家からは少し遠いけれど、友人ということもあり話もしやすくスタイルの相談も気兼ねなくできるので、よほどのことがない限り、そこに通うことになるだろう。

フランス、とりわけパリが好きだった美容師の方がいた。あれから二年以上、彼とは一度も会うどころか、連絡も取り合っていない。きっと今頃、パリの街の片隅で、本人のこだわりを全て詰め込んだ、こじんまりとしながらも確固たるスタイルを確立した、素敵なサロンを経営していることだろう。

確証はどこにもないが、そんな気がする。そんな気がするから、僕はこれを書いたのだ。そしておそらく、もう二度と会うことはないだろう。それでも、だからこそ、僕はこれを書きたかったのだ。(終わり)

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