関東大震災
吉村昭著「関東大震災」を読みました。著者は小説家で、本書で菊池寛賞を受賞しています。関東大震災100周年ということで、後藤新平の本が積読してあるはずと探していたら、本書が先に見つかり読みました。尚、後藤新平の本は未だ行方不明です。
関東大震災は1923年(大正12)年9月1日11時58分発生ですが本書は大正4年の群発地震から始まります。地震研究の第一人者とされる大森博士が京都の大礼に出席している際に地震が起き、大森博士不在の中で今村助教授がその地震について見解を発表します。その発表が、五十年以内に大震災が発生し、火災にも見舞われ、自身によって水道が壊滅、火災を消し止めることができず二十万人近い犠牲を出すであろうというものでした。この発表によって、世間はかなり動揺しますが、大森博士が逆の論陣を張って世間の動揺を納めます。
しかしながら、今村助教授の予想は的中、関東大震災が発生します。家屋が潰れ、圧死するところにとどまらず、火災による死者、また火災によって人が飛ばされるほどの旋風がおこり、それによって亡くなる者、更には炎から逃げまどい川に飛び込んで、溺死する者、その悲惨な状況は読むに堪えませんでした。しかしながら、現実に起こったことの描写ですから、直視すべきでしょうね。建屋のない広い公園などが避難所になっているのですが、避難してくる人々はみんな各々の荷物を大量に持ってきており、その荷物に火が伝わって火災が広がって行き被害が拡大されたということでした。三日位食べなくても死なないでしょうから、水を持っていくくらいにしておいて、荷物はあきらめた方が賢明だということでしょう。また、地震の発生が11時58分、昼食前で火を使っている家庭が多かったことも、火災が広がった原因の一つとされていました。昨今では地震発生時には火を消すということが周知されていますが、当時の方はそうしたことについては無知だったようです。そういう意味では我々が当たり前としていることは、関東大震災の教訓だったと言えるでしょう。
直接的な地震の被害以外にも流言について言及されていました。流言が飛び交い、特に朝鮮人が暴徒化しているという流言が真に受けられてしまいます。各地で自警団が組織され、朝鮮人と思われる人を虐殺するなんて言う行為が繰り返されるという悲惨な状況でした。冷静に考えればわかりそうなものですが、警察にかくまわれている朝鮮人を引きずり出して殺してしまうとか、日頃から警察署長が気に入らなかったからついでに見たいなことにもなっており、どうしてそんなことになってしまうやら理解に苦しみました。しかし、平和な時代を過ごしている我々の理解を超える大災害だったということでしょう。自分がその場にいたとして「冷静になって考えよう!」なんて言えるかどうかわかったものではありません。著者はこうした事象に「責任の根源は、政府、軍部、警察関係者にあったが、同時に騒擾を好む一部の日本人の残虐性が悲惨な事件を続発させたのである。」と結論付けていましたが、ちょっとこの一文は納得いきませんでした。
長くなりましたので明日に続きます。
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