生物から見た世界


 ユクスキュル、クリサート共著、日高敏隆、羽田節子訳「生物から見た世界」を読みました。ユクスキュルはエストニア出身でドイツの生物学者、クリサートはロシア出身の生物学者で二人ともハンブルク大学の環世界研究所で研究をされた方です。

 「環世界」という言葉がキーワードだと思うのですが、全く説明なくこの言葉が登場します。ここだけ個別に調べると、「すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、それを主体として行動しているという考え」だということでした。

 最初はマダニについて書かれていました。マダニは足が一対足らず、生殖器官もない状態で卵からはい出し、最初はトカゲのような冷血動物の血を吸い、何度も脱皮を繰り返して足りなかった器官を獲得し温血動物の血を吸うようになるのだそうです。気によじ登って、十分な高さから下を通りかかる小哺乳類の上に落ちるか、大型動物にこすりとられるのを待つのだそうです。目がなく、耳も聞こえないマダニは、嗅覚によって動物の接近を知り、敏感な温度感覚で温かいものの上に落ちて、触覚によってなるべく毛のないところを見つけて血液を吸うということでした。ダニは木の枝で哺乳類が通りかかるのを待つのですが、その間、飲まず食わずで待ち続けるのだそうです。十八年間も絶食しているダニが生きたまま保存されていた例もあるそうで、ことダニを主体として考えると、時間という概念自体があるのかどうか、本書では「主体が環世界の時間を支配している」と表現していました。

 キリギリスを捕食するコクマルガラスは、じっとしているキリギリスは見えておらず、跳ねて移動するときに初めて食いつくのだそうです。コクマルガラスだけではなく、知覚世界に昆虫の制止した姿がない生物は、昆虫が「死んだふり」をすることで見つけられなくなってしまうということでした。

 人間にも環世界が存在します。知らない土地を詳しい人に案内してもらうと、案内者は確信をもって道案内をしてくれますが、案内される側は案内者がどういう意図でその道を通っているのかわかりません。案内者の環世界では、道路自体や看板、樹木などが道しるべになっているのですが、案内される側の環世界ではそれらの区別がつかないとのことでした。

 タイトルの通り、人間以外の生物から世界がどう見えているのかは興味深いものでしたし、人間の個人個人でも環世界は違ってくるのですから、相手の環世界を自分の環世界をきちんとすり合わせないといけないなと思いました。

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