責任能力

 京都アニメーション放火殺人事件の裁判が京都地裁で開かれ、最大の争点である「被告の刑事責任能力」に絞った中間論告と中間弁論があり、弁護側は妄想の世界の中での体験や怒りが、善悪の区別や制御する能力を失わせたとして、「責任能力があるとは言えない」と主張したそうです。さらに、全てを終わらせるためには放火殺人しかないと思い込んでいたとも指摘したそうです。

 一方検察側は「妄想というベールがかかっていても、動機ははっきりしている」として「被告には完全責任能力があった」と主張しています。また、青葉被告を精神鑑定した2人の医師は「被告が妄想を有していた」という点では一致している一方、妄想が犯行に及ぼした影響については意見が分かれていたそうです。妄想と言っても程度の問題がありそうですが、誰でも妄想するなんて言うことはあるでしょうし、そんな状態で犯罪をしでかしておいて、「妄想してしまって、、、」なんてことを言いだされたらどうなってしまうのでしょう。

 刑法39条「1、心神喪失者の行為は、罰しない。2、心身耗弱者の行為は、その行為を減刑する。」について、様々議論があり、私もかつて色々と読んだ覚えがありますが、こうした減刑に対しては一つも納得できたことはありません。この事件に関して言えば36人死亡、33人重軽傷という大惨事です。刑法39条は被害の大きさとは関係ないと言われればそれまでですが、もう、この法律は死刑反対派弁護士の武器になっているとしか思えません。

 被告は埼玉県から東海道新幹線を使って京都に行き、ホテルに宿泊。翌日はネットカフェに行くなどしてからまたホテルに宿泊。ホームセンターでガソリンの携行缶や代車を購入し事件現場近くの公園で野宿。事件現場近くのガソリンスタンドで「発電機に使う」と店員に告げてガソリンを購入。これだけの手続きをしっかり行っているわけです。携行缶がないとガソリンを売ってくれないことを知っているし、「発電機に使う」と嘘を言っています。これだけしっかりと段取りをしておいて、放火したところだけ心神喪失あるいは心神耗弱なんて理解に苦しみます。妄想に囚われているなら「京都アニメーションに火をつけてやるんだぁ~」なんて騒いで取り押さえられてもおかしくないでしょう。

 とはいえ、感情的に色々書くよりも、私自身ももう少し勉強した方が良いのかもしれません。いや、勉強しても変わらないと思うんだよなぁ。そもそも、人を殺してしまおうなんて考える状態がまともな精神状態であるはずがないと思います。

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