悲願へ 第二部 4

 一ヶ月空いてしまいましたが続きです。


 「松下幸之助は『崇高』なるものだけが、文明を生み出しているということを言っています。その概念である『崇高性』というものを理解して初めて、『理想』が生まれてくる。そして、理想が支配する社会が出来るということです。」とありました。この状態を松下幸之助は「衆知」と名付け、それは理想を踏み外せば、烏合の衆、何でも人に合わせるような現代の卑俗な似非民主主義と同じになってしまうとありました。参政党が言っている、「自ら考える」というところが現代に足りないということでしょうね。ある程度、任せておいても大丈夫だと思われていた自民党ですが、流石にそれも限界と言えるところまで来ているのではないかと思えます。


 「悲哀から出てきた人間生命の根源が軸に立って、初めてその人間が人と話し合えば、『衆知』になるということです。」とありましたが、理想を中心軸において皆で話し合うこと、それが人間の考えうる最も正しい民主主義だとありました。また「民主主義というのは、人間の尊厳に関わる根源的な思想を持っている人たちだけが話し合うことによって成立する。」ともありました。この辺りは、自民党の総裁選の状況を見ていると、やっぱり著者の言う通り「卑俗な似非民主主義」という感じが理解できるような気がします。誰をトップにすれば選挙に勝てるかが優先されることで、岸田首相は降りざるを得なくなったし、選挙の顔として以外は疑問符ばかりが付くような方とか、「どうしても総理になりたい」という我欲を盛った方みたいな方ばかりが出馬しているように見えてしまいます。また、本当に国民のことを考えてくれていると私が思える方については報道さえされません。


 また「衆知」の「衆」について「大衆性は歴史上の全てを含んでいる。そのことが幸之助の文章を読んですぐに分からなければならないのです。したがって、話し合えと言っているのは、現世で生きている人たちだけではなく、歴史上の人たちすべてなのです。日本だったら、日本の歴史が始まってから、現代の社会を創った偉大な人々までが『衆』なのです。」とありました。


 最後に「政治家というのは、本当は自分の意見に、命を懸けている人でなければならない。」、「自分の信念に自己の命を懸ける人だけが真の政治家なのです。」とありました。うーん、やっぱり高市さんかな。


 まだまだ続きます。

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