悲願へ 第二部 2
続きです。
「宇宙的天命」の解説に入ります。「我々の生命と人生そのものが、宇宙の生成発展を基準とするものから創り上げられていると知ることが重要になってきます。」とありました。稲盛和夫氏は、すべてのものを進化・発展させていく宇宙の意思に同調するか、反発するかで人生が決まると言っていますが、ほぼ同義だと思います。そして「生成発展」は「諸行無常」だということでした。「生成発展」と聞くと、どんどん成長を続けていく印象を受けますし、稲盛和夫氏のお話しからもそうした印象を受けますが、ここでは「呻吟」と「悲哀」の認識だとありました。「呻吟」とは「苦しみうめくこと」、「よいモノを作るために、苦労をすること」だそうです。「苦しみ抜きながら、何ものかを求め渇望する、そしてすべてのものの命の中に生命の持つ悲しみを見つけること、そういうものが諸行無常ということなのです。」とありましたが、前回ちょっと希望を持ったのがウソのような展開になりました。
しかし、「それ(呻吟と悲哀)と共に生きている我々自身の人生を肌に感じることによって、この現世に生きる力が湧き出てきて、現世の苦しみの多くがなくなるのだと、少なくとも私はそう思っています。」とありました。挫折もなく順風満帆で人生を送ってしまうと、なんていうか耐性みたいなものが育たなくて、いざというときに生きる力が湧き出てこないのかなという印象を受けました。それが宇宙的使命とどうつながるのかわかりませんでしたが、自分の幸せばかりを求めず、国のこと、祖先のこと、地域社会のことを思うと、そこに憂いが生まれ、悲哀が生まれ、苦悩が生じるとありました。単純に自分のことばかり考えていてはいけないという解釈でよさそうな気がします。
諸行無常を認識したら、次に「物心一如」に至ることが出来るそうです。「物心一如」
が松下幸之助のいう「繁栄」のあるべき理想的な姿だということでした。「物」は地球上の現実に存在しており、そちらに目が行くと「物心一如」の均衡は保たれない、心を常に中心にするくらいで均衡が保たれるとのことでした。「心を大切にして生きていくと、(中略)物質は必ず付随してくるということです。」とありましたが、ここは難しいですね。物によって心が満たされるということもあると思いますが、その期間は非常に短いものですから、対症療法でしかないのかもしれません。とはいえ、「心を大切に」とは、なんとも広大な言葉で具体的にどうするべきかと言うのは出て来ません。ジェイムズ・アレンのいう所の「心の手入れ」を怠らないようにするべきという解釈でも良さそうな気がしますが、うーん、やっぱり難しい。
まだまだ続きます。