政治的公平性

 立憲共産党の石川議員が、インターネットで配信される番組について「ネット上を見ますと、政治的な思想が前面に出ている番組も多く存在すると。こうしたネットも含めて政治的公平性をどう捉えていくのか、どういう姿勢が総務省に求められていくのか」と質問しました。松本総務大臣は「インターネット上の映像配信サービスは放送法の適用を受けないサービスであり、放送法4条の規律を受けることはございません。現時点において、石川委員ご指摘のような新たな規律を導入することは考えておりません。」と答弁し、さらに「表現の自由や政治活動の自由を保障する観点から慎重を期すべき」との考えを示しました。これに対し石川議員はネット動画などの社会的な影響は大きくなっているとし、「社会が考えなければいけない課題だ。」と指摘したそうです。ネットの報道記事から拾ったので、国会中継やら、議事録もチェックしておきたいところでしたが、見つかりませんでした。


 今散々高市大臣をやり玉に挙げて、放送法の解釈についてヤイヤイやっております。要は政治的公平性を保てるのかどうか、保てないような解釈変更をしたのではないかといったお話をしているわけですが、どうして公平性を保たなければいけないのかと言えば、公共の電波を使用しているからです。しかしながら、完全に公平性を保つなんて言うことはなかなか難しいところでしょう。そのあたりは置いておくとして、だれでも使えるインターネットのプラットフォームから発信する番組については、松本大臣のおっしゃる通りで放送法4条の規律を受けることはないでしょうし、これからも受ける必要もないと思います。もちろん、内容が虚偽だったり、多くの人を不快にする者だったりということになれば、自然にそうした番組は市長の対象にならなくなるでしょう。また、プラットフォームの運営側から規制を掛けられるケースもあります。


 高市大臣や磯崎補佐官(当時)に対しては、要は放送法の解釈を、実際変えているわけではないのに、変えたかのように言い放ち、「放送の言論報道の自由を奪還する」なんていう物言いをしている一方で、自由に放送しているインターネットの番組に対しては政治的公平性を同じタイミングで求めていくのですから、何やら凄まじいものを感じます。「何やら凄まじいもの」と曖昧な書き方をしましたが、その「もの」をなんとか言葉にしてみると、「自己矛盾に対する耐性」が適当かなと思いました。

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