悲願へ 6


 続いて「高貴性と野蛮性」についての解説です。「高貴性」は武士道の影響を受けた町人が自らの道徳を自分たちで築き上げたもので商道と呼ばれていたもの、それを石田梅岩がまとめたのが「石門心学」だとありました。武士道も石門心学もきちんと読んだことがありませんが、「まじめな人が石門心学をあまり勉強すると、石部金吉になってしまう。」とありましたので、まじめな私は深入りしなくて良さそうです。また、「精神的な道というのは、一番気をつけなければいけないのは、とにかくやり過ぎると、大体、ろくなことはないということです。」とも言っていました。うーん、それにしては著者こそやり過ぎではないかなんて思ってしまいましたが、要は「高貴性」だけではダメだということでしょう。

 「道徳は破るためにある」なんていう思い切ったことも言っていましたが、これが「野蛮性」にあたるのでしょう。しかし、道徳をしっかりと勉強した上で、自己責任でそれを破って、破った自分を反省するのが人生だということでした。うーん、この辺りはちょっとややこしいですが、この後に「逆説の真理」という項がありました。ここで理解が進むかと思いきや、「『もうそろそろ帰っていいよ』と誰かに行ったら、『帰るな』ということなのです。」とありました。「京都かよ!」って思ってしまいましたが、「ここが皆、今の日本人は分からなくなったので、経験的な能力が発展しないのです。」とありました。私も分からないのですが、これはどう考えればわかるようになるやら、まだまだ理解が進みませんが「宇宙はもともと、幸と不幸、陰と陽、熱と寒という対立構造で出来上がっています」とありました。この後、「不合理なことに苛まれれば苛まれるほど、人間は宇宙に繋がっていく。」ともありましたが、なんていうか、部活で先輩から理不尽なことを強いられたり、パワハラ上司みたいなのに絡まれたりなんて言うことがあった方が、宇宙とつながりやすいのかななんて思いました。

 そこから「宇宙=生命=文明」の説明に入りますが、ここは全く分かりませんでした。「人間の精神は悲哀から生まれました。」松下幸之助は悲哀が強く、その悲哀のおかげで若くして「反骨精神」を持ち、革命の精神を生み出していたとありました。まったく「宇宙=生命=文明」に繋がっていないので訳が分かりません。

 まだまだ続きます。

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