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守・破・離の離しょにょ3


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八女和紙にミクストメディア

今回もわたしにとって重要な画家、サイ・トゥオンブリーさんです。

油絵では、あまり影響は受けていませんが、鉛筆によるドローイング(今はポストカードのみをライフワークにしていますが、以前は八女和紙などにも描いていました)は、トゥオンブリーさんがいなくてはたどり着けませんでしたね。

厳密な意味では、トゥオンブリーさんような空間とはまた違うみたいなのですが、なぐりがきとでも言うべき特徴は、しっかり受け継いでいます。

思うのですが、わたしのポストカードの仕事って、誰にでも描けるのだとか思っています。

他にやってる人が見受けられないので、ちゃっかりわたしのオリジナルでございと、続けているようなものです。

ひょっとして、わたしの成功したポストカードに追いつける人がいないのかも?

マネタイズっていうのは、誰にでもできると思っていることが、実はとんでもない才能なのだということに氣づくことから、とかよく言われたりしますが、他人がわたしのポストカードを見て、そんなこと言ってくれたことが今までないので、大威張りでわたしの絵って凄いんだぞ、などとはいまだに思えなかったりします。

ピカソ展が初めて日本で催された時、観客はこぞって「こんな絵なら俺にでも描ける」とか言ってたものでした。

絵画に素養のない人から見てみれば、わたしのドローイングなど、生涯味わうような氣になれないのでしょうね。

それって、わたし1人の力では変えられません。

そこは評論家と呼ばれる人たちが一般人との橋渡しの役割を担うんでしょうね。

わたし1人が逆立ちしても興味を持たない人を振り向かせるのは難しいのかな?

サイ・トゥオンブリーさんを知らない方は、どうか調べてみてください。

ぐるぐる線を描いただけのものを藝術にしてしまった人です。

評論家がいなければ、認知は難しかったような人です。

考えようによっては時代の波が追い風になって有名になったとか、というか時代の必然というものでしょう。

その時代に生まれていなければ、別の画風だったのでしょうかね?

そんな考えはナンセンスなのはわかっていますが、メジャー、マイナーを分けるものの中で、うまく隙間をついた人だとも言えますね。

そんなことよりわたしは彼の絵が大好きです。

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