信仰の父も完璧ではない
創世記12:11-20
アブラム(※1)たちが神様から示された「カナンの地」へ向かっているときのことです。滞在していた地が大飢饉に襲われたため、エジプトに下り滞在することを決めます。そして、エジプトに入ろうとした時に妻であるサライ(※1)に言ったことです。
当時は妻は夫の所有物だったために、夫であるアブラムを殺し妻サライを奪う。そんなことがあり得る時代でした。
アブラムはサライが自分の妻だとわかると、美しい妻サライを奪うために自分の命を奪うものが現れる。そんな恐怖にアブラムは負けてしまいます。
神様を信じ父の家も生まれ故郷も離れたアブラムでしたが、主を信じきれていませんでした。
15節に「サライはファラオの宮廷に召し入れられた。」とあります。サライがどのような形で召し入れられたかは19節に「わたしの妻として召し入れたのだ。」とあります。
サライはエジプトの王の妻(※2)として召し上げられました。
お伽話や作り話ならここで「めでたし、めでたし。」となりますが、聖書は契約について書かれた書物であり歴史書です。
妻サライは言うまでもなくアブラムの妻です。つまり妻サライは嘘と姦淫(※3)の罪を負うことになります。
神様がそのようなことを放置するはずがありません。
神様は、エジプトに厄災を起こしファラオにサライがアブラムの妻であることを伝えます。それによりサライもアブラムも罪を重ねずにすみました。
そうしてファラオはアブラムと妻サライに国外への退去を言い渡しています。新共同訳ではお願いのようになっていますが、他の翻訳では命令のように書かれています。
一部の資料では古代のエジプトで「浮気をしたものは耳や鼻を削ぎ落とされる」と言ったものがあります。
この時代のも同じかはわかりませんが、アブラム、サライにとって寛大な処置です。
こうして事無きを得て再びネゲブ地方に上っていきます。
実はアブラムはもう一度同じような過ちを犯します。
このときも神様によって救われています。
信仰の父アブラハムでも弱いところがあり、完璧ではありません。しかし、神様は何度も何度も過ちを犯す私達を際限なく赦してくださいます。
そして、他人を赦すことを決してやめてはいけないことを教えてくださっています。
※1 今日の箇所では名前を改める前なので、聖書に従いアブラハムをアブラム、サラをサライとして書いております。
※2 サライの罪で考えた時、ファラオに妻がいたかは考えずに除外しました。
※3 この時代は出エジプト記の前ですので、十戒がない時代です。その当たりになると私にはユダヤ教から引っ張るしかないのですがタルムードにはノアの7つの戒め(ノアの法)があります。その中に性的不品行の禁止があります。
※私が主日礼拝や聖書勉強会で学び、メモをとり、ノートにまとめた内容を清書しています。そのため間違っていることもあるかと存じますのでご了承ください。またタルムードやユダヤ教、古代エジプト等に関しては書籍などからの学びとなり、礼拝や勉強会で学んだものではありません。
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