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大学生日記 #33 店番

平成十二年 八月

安藤結衣と初めて出会った日から約二ヶ月近くが経っていたある日の夕方、彼女は予告もなく唐突に広司の前に現れた。その日の広司は夕刊の配達後に店番の担当になっていた。東京一帯は、ここ数日かなりの猛暑が続いていて、夜になっても昼間と変わらない蒸し暑さで、冷房が効いた販売所から一歩外に出れば、茹だるような蒸し暑さが全身を包み広司を辟易させた。
いつものように午後十八時から店番を始め、販売所内の電話機の近くで椅子に座り本を読んでいると、三十分程で再配達の電話が鳴った。急ぎ広司は販売所内に置いてある狛江市全域を網羅する大きな地図を使って住所を確認して、連絡のあった家まで夕刊を再配達してきた時だった。カブを販売所の前に停めて中に入ろうとすると、煙草を吸いながらドアの前に立っていた専業従業員の堀池に声を掛けられた。
「おい、岡田。今さっき安藤さんという女性が、お前を訪ねてきたぞ。知り合いか?」
堀池が目線を販売所内に向けるような仕草をして言った。
「え?どいうことですか?」
堀池の言葉の意味が理解出来ず、広司が販売所のドアを少し開けて中を覗くと、そこにはジーパンにTシャツ姿のラフな服装をした結衣が立っていた。広司は驚いて声も出ない。
「なんだよ、お前やっぱりこれか?あんな美人とどこで知り合ったんだよ?え?」
堀池が煙草の吸い過ぎで黄色く変色した前歯を見せながら、にやけて左手の小指を立てる仕草をしたが、その小指の先が第一関節から欠損していて思わずそこに視線がいってしまう。以前に裕太から聞いた堀池が昔はヤクザだったという噂は本当なのだろうか。
「違いますよ。でも、なんでここに?」
堀池の問いかけは無視して、独り言のように呟いた。
「お前が再配達で、販売所を出た直後に訪ねてきたんだよ。すぐ戻りますよって言ったら、ちょっと待ちますって言うからさ、冷房が効いてる中で待ってて貰ったの」
何故か自分のことのように得意そうな顔をして堀池は言ったが、その言葉は広司をただ通過していくだけだった。

#小説 #暑さ #辟易 #店番 #再配達 #来訪

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