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複雑怪奇な世界を捉えるために

 座右の銘を教えてほしいと言われ、尊敬する人の言葉を伝えたところ、「何だか言葉をこねくり回しているね」という感想をもらった。どうやら欲していた「銘」は、「時は金なり」「ローマは一日してならず」「寝逃げでリセット」といった単純なワンフレーズであったらしく、私の紹介した言葉はお気に召してもらえなかった。

 11月末ころから、本の要約サービス「flier」の有料会員となった。このサービスは、主にビジネス書を、1冊あたり10分程度で読めるよう要約して紹介してくれるというものである。私の使い方としては、毎朝3冊の要約を読むようにして、世の中の潮流を何となく辿るようにしている。

 一方で、寝る前にはkindleで面倒くさい本を読むようにしている。寝る前に液晶画面を見てしまうと、睡眠に悪い影響をあたえるというが、電子インクであるkindle端末は違うらしい。そんなkindleを使って、いわゆる「知の巨人」と呼ばれる人たちが書いた本を読む。flierの要約とは異なり、そうした本は読み手に「斜め読み」させることを許さない。一つひとつの言葉を辿るようにして読まないと、筆者の思考から、書かれていることから振り落とされてしまう。また、使っている語彙が現代とは少々異なるため、考えながらでないと単語の意味を正確に把握することができない。漢字から何となく意味を推察した後は、文脈から意味を確定させていく作業が必要になる。

 ジョージ・オーウェルが『1984年』で提出したアイディアの1つに、ニュー・スピーク(new speak)がある。『1984年』は、世界が独裁者(「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる)によって支配されている中で、主人公たちがその支配に抗ったり抗わなかったりする物語であるが、ニュー・スピークは独裁者の「統治手段」として出てくる。

 ニュー・スピークは、平たく言えば「単純化された英語」である。現実世界では、小中学校で類義語や対義語を習ったと思うが、ニュー・スピークにはこういった単語がない。「涼しい」「寒い」「凍える」といった単語は一纏めにして、「少し寒い」「寒い」「とても寒い」というようにする。「右」と「左」も一纏めにして、「右」と「右の逆」にする。これによって何がなされるのかと言えば、思考の単純化、感情の単純化、文化の単純化である。豊かな思考も、豊かな感情も、豊かな文化も、それを表現する手段が失われ、人々は「都合よく統治されるだけ」の存在へと成り下がっていく。「刀狩り」ならぬ「言葉狩り」である。

 現実世界の様々な場面で「分かりやすく」「平易な」「使い慣れた」言葉で説明することが好まれる。それはそれで結構なことだが、一方で「分かりにくい」「難しい」「使い慣れない」言葉が存在していることには、それなりに意味がある。それは、豊かな思考を、豊かな感情を、豊かな文化を、何とかして表現しようと試みる中で生まれるものであり、学問の世界のみならず、むしろ詩や俳句・短歌といった「表現」の場面でも見られるものだろう。

 長々と予防線を張ったところで、最後に、冒頭の「座右の銘」を紹介したいと思う。

「自分の価値観に合うものはどんどん吸収できるが、それでは腹が膨れるだけで、変貌を伴う自己革新などは起こらない。自分と矛盾する他者と否応なく対面すればこそ、人は不毛なナルシズムから解き放たれ、自己の解体と新たな自己の創造への契機を得る」

 たしかに「銘」とするには、多少長すぎる気はする。特に好きな表現は「それでは腹が膨れるだけ」というところ。都合のいい情報だけを摂取して変わろうとしない人たちがいることは、私も観念できていたが、これはそれをうまく表現していると思う。おそらく、「斜め読み」ができるような文章は、いくら読んでも「腹が膨れるだけ」で、筆者と戦いながらじゃないと読めないような文章が、読み手に自己革新を促すのだろう。

 そんなことを思いながら、しかし口では「もっと分かりやすく書け」と悪態をつきながら、今夜も「知の巨人」との戦いに挑む。

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