日々の雑記 「ワークライフバランス」
「ワークライフバランス」という言葉は都市にのみ当てはまるのだと思う。
東京に住んでいると、夫婦で異なる仕事をしている、もしくはどちらかが仕事をし、片方が家事に専念するということになると、一緒にいる時間が土日のみになる。
そうすると、土日は家族の時間となり、仕事をプライベートに持ち込まずに家族の時間を大切にしたいと思う。
「ワーク」と「ライフ」は別々になり、バランスをとる必要が出てくるのだ。
食事をするように草を刈る
僕「毎日庭の掃除は大変そう」
祖母「毎日やってるもんだから、大変だとか考えたことなかったわ」
農家は別に毎日の野良作業を「仕事」とは考えないのだと思う。仕事の中に生活があり、生活の中に仕事がある。そもそもバランスなど考えて動くのではないのかと思った。
毎日食事を準備することを仕事とは思わないのと同じで、習慣としてやらなければいけないこと、やったほうがいいことを淡々と続ける。
Work Life BalanceでもWork as LifeでもないLIFE AS LIFEだ。
ただ、これは地方や農村部だからできることでもあると思う。
生活は風景につながる
都市部で同様に身の回りのことを日々の時間の中に取り込むのは難しい。
経済合理性がないからだ。
草むしりをしたところで誰かがお金をくれる訳ではない(最近ではそういうことを請け負うマッチングアプリもあるけれど)。
庭の整理や道路の掃除はスペシャリストの仕事になる。家を建てるのも、ビルを建設するのも専門家の仕事だ。
ワークライフバランスを保って、専業に専念する意識によって高度化し、都市は作られているのだと思う。
一方で農村部は私の祖母のように日々の食事を作るように家の周囲の掃除をし、家の修理をする。
手入れをしなければ家や風景は荒れていく。生活は風景につながる。そこは日本円を介しても修復をするのは難しい。いや、もちろんお金があれば直すのだけれど、別にそんなことはしない。
生活に密着する風景というのは難しい。
都市と地方の格差は広がり続ける
都市と地方の格差は縮まらないと思う。
別に地方に留まるインセンティブはないからだ。自然は綺麗だけれど、やはりお金はたまらない。
日本円が日本にとって唯一の法定通貨であり続ける限り、東京の物価基準とペッグされている限り、格差は広がり続ける。東京が地方に気を使って、物価を下げることはない。
いずれ東京と地方の格差が広がりまくって、もうどうしようもなくなった時に、地方は独立するしかなくなるのだと思う。
そうした時に僕の祖母のような野良仕事を何らか評価する経済が動き始める。けれど、それは東京にとってはどうでもいいことであり続ける。
しかし地方にとっては大事なこと。美しい地方を守るには必要なことという認識が生まれ、それを地域通貨で評価することになる独自経済圏が生まれてくるのではないかと思う。
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