2/24のTwitterスペース報告(松戸市議会に提出した請願について)
↑こちらのスペースにてお伝えする内容のまとめです。
請願の主旨
「守られるべき私達の社会に参加する権利の侵害は、議員であれ誰からのものであれ許してはならない(人権を守らなければならない)」
昨年8月に松戸市にて、子供達向けの交通安全啓発に協力した松戸市民が根拠のない決めつけを受けました。それにより警察との協力で制作された啓発動画が削除されました。
これが市民の社会参加の権利の侵害と市民の名誉を損ねる二つの問題であると私は指摘します。
この請願は「二点の人権侵害の調査」と「調査結果を今後の人権擁護に反映させること」を市に求める内容です。
松戸市議会に対する請願なので、採決されると市議会から市行政に対して人権を守るようにという働きかけを行う形になります。
つまり、明確な人権を守るようにという市民の意思表示となります。
請願とは市民の政治参加に関する権利の一つで、以下のような仕組みです。
市民 請願を出す
↓
議会 採決し市に働きかける
↓
行政 採決に応じて実行する
市民の請願が受理されても議会が採決ではなく否決すればそれまでですが、特に人権擁護を求める請願であれば、人権を守る意志の無い議員の存在が明らかになる仕組みとも言えます。
なので、請願を出す市民としてもその内容は慎重に吟味したものでなくてはなりません。
人権の意味の再確認
人権とは、人の認識と自由な意志の働きを、国という大きな権力や社会で大きな力を持つ人が抑圧してはならないという考えの事です。
これはヨーロッパで長い間、王様など貴族と宗教の組織の結びつきの中で、権力を脅かす科学の探求や自由な発想の意見が否定されてきた事の反省から生み出されたものです。
認められなかった科学的探求や理不尽な王の振る舞い(戦争など)を止めるための法律学などの、確かな検証の上で成り立ったものとその恩恵を受ける私達のお互いを守るためのルールとも言えます。
請願の目的は対立ではない
最初に市民が「根拠のない決めつけ」を受けたと書きましたが、決めつけをした人をどうにかしろという申し立てではありません。
いかなる意見も自由というのが人権の大事なものの一つ(表現、言論、出版の自由)ですが、それを守るための議員の言葉は重いものとして扱われます。
よって議員の言葉の影響で、社会を良くしようと協力している市民が理不尽な目に遭い、またその出来事のせいで悪口を言う人が沢山現れてしまったら、私達は「松戸市さん、何が起きているかを確認して『市民に決めつけで悪口を言ってはいけませんよ』とアナウンスしてください」と働きかける必要がでてきます。
これは人権を守るために、個人の勝手な思い込みで誰かを攻撃したり罰したりせず、適切な方法で解決しましょうという人権のルールにのっとった方法です。
むしろこの取り組みが議会や行政の役目の一つ
なので、起きている問題に関心を寄せてひどい目に遭っている人はいないかと目を光らせるのが議会の議員さんや行政の役目の一つです。
またその議員も行政(市長や区長などがリーダー)は私達市民が立候補をして考えをまとめてから活動しているので、私達が第一に目を光らせていなければなりません。
配慮したこと
・政党性や思想の対立の構図には絶対にしない(させない)
少し難しいことですが、よくテレビで見る国会と地方の議会は別々に活動をしていると考えなくてはなりません。それは約75年前の大戦争の時に国が地方をまとめて管理して、戦争に全力で取り組んだことの反省によるものです。
国会の政党というまとまりが地方の議会の中で力を持つような、また持っているかのような働きかけ方をしてはいけないのです。
そして国は様々な考え方や人々の集団の考えがごちゃまぜにぶつかり合っていますから、統一した考え方に導きやすい思想の良い悪いの話し合いにしてもいけません。
そのように見える部分を極力避けて書いた請願です(起きた事実を示すために仕方なく具体的な名前を出したところはあります)。
・権利の濫用を招く余地をなるべく作らない
上の話の続きですが、思想の違いは人々のいがみ合いの原因にもなります。その時に市民の政治に参加する権利(立候補や請願の権利)が、相手をひっぱたく方法として使われたら、「これは効果的だ」と思う人が続出して大変なことになります。
なのでなるべく対立したりしないように、困った人を目立たせたりしないようにという内容で書かれています。
・引き起こされる反感はなるべく私個人に向かうように
残念なことに、ここまで書いてきた人権の基本的な考え方はあまり共通の考え方として通用していません。それは人権がヨーロッパ発の考え方なので「なにから出来たルールだっけ?」と日本の人は思いやすいことと、言葉の意味自体を確認することは結構難しいことだからです。
例えば、人権の考え方が日本に入ってきたころ、民本主義という言葉が作られました。これは国を動かす権利は民(皆のこと)にあるという考え方なのですが、その考え方は残りつつも今では民主主義という言葉を使うようになっています。
一つの言葉だけでも正確に説明するのは難しく、またその言葉の成り立ちでさえ正確に扱うのは難しいのです。そして一般的なルールとして使われているものである以上、人権のルールを慎重に確認していても「それはあの考えを否定するために請願したのではないか?」といった疑いはどうしても持たれます。
それは仕方ないことので、なるべく誰の反感も請願の権利を行使した私自身にできるだけ向かうよう様々な工夫をしています。
・人権理念に徹する
人権は別の言い方をすると、人の自由な意志や事実を確認する方法などをそのまま保つための基本ルールとも言えます。
これまで説明してきた人権の基本的なこと(古い本から現代の本まで沢山確認しながら書いています)を知らない人もいれば忘れている人もいますから、次の人(子供達)に間違って伝えないようなるべく基本に忠実を心がけています。
人権に徹すると物事は味気なくなる(それが正しい)
人権の基本的な考え方は物語と違って、それ自体が人を感動させるストーリーではありません。
小さい子には色んな知識を伝えましょう(勉強を邪魔してはいけません)といった意味の言葉が人権にはありますが、当たり前のこと過ぎてそれだけで泣く人はあまりいません。
ずっと邪魔されてきた人が見たら嬉しくて泣くとは思います。
当たり前のことを当たり前にしようというものでもあるので、悪い人をぶったおす筋書きのように捉えれば、それは間違った解釈なのです。
悪い人のように見える場合でもその時偶然そのように見えただけ(誤解)かもしれないので、きちんと確認しましょうといったことが書かれているのが人権です。
ゲームのラスボスの手前で「きちんと本当に悪い人か確認しましょう」と出てきたら、びっくりしますよね。
しかし、普段の生活ではそれが私達のために大切なのです。
松戸市に向けて指摘すること
・こんなこと野放しにする議会や行政では根本的に怖い街だと思われるよ
・街や大きな会社がVtuberという表現を使う場面が増えているよ
・高い経済効果を生んでいるところもあるよ
・今回の件に関連する人はその点でかなり凄いよ(なおさら言いがかりを放置したらだめだよ)
・世界中の「女性だから表現や社会参加をしてはいけない」と言われている人々にとって、同じ不安を街に呼び起こすことになるよ
・人を根拠なく悪く言ってはいけないというのは、戦争を否定する人権(人を大切にしよう)のルールに反するよ
望む着地点
今回の請願がいかなる結果に終わっても、正しいと思う思想であれば人をどれだけ悪く言ってもいい、事実に基づかない事を言ってもいいという空気が止まれば何よりだと思っています。
また人権という考えが広まってから約100年後にようやく女性の選挙権が認められた国もあります。
人権を守らないならば100年でもおかしいと言い続けます。
私は、人権を守るべきという基本を認めない議員がいるならば、命の限り指摘し続けます。そして私の命が尽きた後も改善されない限り子供達が指摘できるよう、問題の事実と人権を守るための具体的手法を伝えます。
「性的だ」という理屈で女性が排除されてきた歴史が忘れ去られたなら、性別に左右されるものではない人権の平等性など伝えることは不可能でしょう。
今回の提出したものは人権擁護の請願です。そうである以上、相応の覚悟をもって松戸市議会議員の皆様には考えていただきたく思っています。
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