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SDGsの主流化について考える

はじめに

世の中SDGsばやりで、猫も杓子もSDGsを唱える昨今、若干の懐疑論はあるものの、陰謀論を信じている人以外で正面から否定する人はいないと思う。ただ、具体にどう実践するのかというと、電気をこまめに消していますといった「できることからやっています」というナマケモノでもできるSDGsを本気にしてしまっている人か、みんなでパートナーシップを組んで海岸でゴミ拾いしていますというような人のどちらかしかいない感じがしている。

SDGsの主流化

では、SDGsはどのように実践していくのかというと、それは主流化(Mainstreaming)をやっていきましょうということになる。これは各国でもやっていることだし、日本だって国家レベルで定めた「SDGs 実施指針」のなかで、今後の推進体制として「SDGsの主流化」を真っ先に掲げている。SDGsを仕事とかでやっている人にとって「SDGsの主流化」というフレーズは一度ならずとも聞いたことがあると思う。

主流化って何それ?

しかしながら、主流化と言われて「ああそうか」と思う人は皆無だと思う。日本語的には「主流化」と言われたら、「それを主流にするんだね」となるが、「主流にするって何?」ともう一度ツッコミを入れたくなる。Mainstreamingを「主流化」と訳すわけだが、日本語としては意味が分かるのでそのままスルーしてしまいがちであるが、よくよく考えると意味の分からないフレーズであることに気が付くと思う。

国の定義を見てみよう

そういう時に助けてくれるのが、国の役割。先述の「SDGs実施方針」の中では、SDGs主流化についてはこう言っている。

政府及び各ステークホルダーは、各種計画や戦略、方針、個別の施策の策定や改訂、実施に当たって SDGs 達成に向けた貢献という観点を取り入れ、その要素を最大限反映する。

SDGs実施方針改訂版

これをかみ砕いてみると、主語が「政府および各ステークホルダー」となっているので、要するに国や自治体といった公共レベルや企業などの民間レベル、それにNPOなど各種団体や市民活動、それに各個人。これらすべてにおいて、色んな計画を立てたり、戦略を作ったり、それらの企画段階から実施、事後のレビュー段階のすべてにおいて、SDGs 達成に向けた貢献ということを意識して、その要素を最大限反映するんだと言っているわけです。

がんばって意味を考えてみる

これを読んでもいまひとつ腑に落ちないが、私が思うSDGsの主流化とは、みんながどんな判断や行動をする際にもSDGsを念頭に置いて、どんなことでもSDGsを判断基準にして、その結果SDGs達成に少しでも貢献しようということになるのかなと考えている。これもよく言われる「モノサシにしましょう」ということだけど、これでも、よくわからない?こうした例はどうであろう。
私たちは、大体どんなシチュエーションでも、費用対効果、わかりやすく言うとコスパを考えてなにがしかの判断や行動をしていないだろうか。飲み食いをする、遊びに行く、スポーツをする、デートをする、何かを買う、どんな時でも計画段階、実施段階、レビューの段階で費用対効果を考えていると思う。世の中お金がついて回る以上、そんなの当たり前と思うかもしれないが、これこそが「コスパの主流化」である。これが主流(当たり前)じゃない状況を考えてみればわかる。共産主義時代のソ連を考えてみてほしい。計画経済の中、国の定める計画(ゴスプラン)に従って、各工場や商店、個人レベルまで経済活動を行っていた。これこそコスパが主流化していない社会である。こういう状況では誰も費用対効果など考えないので、非効率のオンパレードと化してしまいあのように衰退していったのであるが、主流化という概念はこれで分かるのではないかと思う。
ということで、SDGsは17の目標と169のターゲットでできているけど、これは2030アジェンダに書いてあるとおり「統合され不可分」なのだから1つのものと考えて、SDGsパ(パフォーマンス)を常に考えましょうね、というのが「SDGsの主流化」というわけである。

「主流化」はなぜ主流になっていないのか

じゃあ、なぜ諸外国は主流化というタームが根付いているのか。答えは簡単で、SDGsより前に「ジェンダーの主流化」という考え方が前世紀の終わりから浸透してきて、それ以降「〇〇の主流化」と言えば、「ああ、あれね。」とすぐにわかるからである。「生物多様性の主流化」とか「防災の主流化」なんかも説明抜きですぐわかる。わかならないのは日本だけである。
ちなみに、ジェンダーの主流化がなぜ日本で広まらなかったのは、闇が深い。時間のある方は「七生養護学校事件」などを調べていただきたい。

最後に

SDGsの主流化は非常に重要な概念であり、ぜひ理解が広まってもらいたいものだ。というか、これを分からなければ、SDGsは全く分かっていないと思ったほうがいい。キラキラしたバッジをつけたり、会社のパンフレットにSDGsのアイコンを張り付けても全くの徒労であるし、それがSDGsだという誤解を広めているという点で有害ですらある。もう、折り返し年を越えたというのにこういう状況であるが、自分の子供の世代にもうちょっとましな世界を残してあげたいと思っている。もうちょっと頑張ろうか。

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