その努力は精神的に良い努力か?

ふと考えた。
ある試験を合格するために100時間の勉強や努力が必要だった人が、
他の人の学習方法を聞いたら1時間の勉強や努力で試験に合格できると知った。

「画期的だ!やった!!」

と思えたならこれまでの100時間の努力は精神的に『良い』努力だった。

しかし

「そんな方法正しくない。今まで通り100時間の方がいい」

と思ったなら100時間の努力は精神的に「良くない』努力だったとなる。

何故そう思うか?

これまでの100時間の努力を嫌々やってたからだ。
その時間を無駄だと思いたくない、自分を貶すことになる、とその後もまた100時間の努力を嫌々続けていく。

これは自己肯定感の低さも影響ありそう。
低ければ低いほど、自分のこれまでの努力を否定されて気がして、そんな自分を守りたくてそれまでの自分の努力の方法に固執してしまう。


そんな人を救うにはどうしたらいいか?

自己肯定感を高めろって言うけど簡単ではないよね。
でも嫌々を変えることが大事だ。
自分が嫌々やってたんだって気づくこと、
気付いたら別の方法を考えること、
思いつかなければ調べたり人の意見を参考にすること、
それは決してあなたの努力を貶すはならない事を理解しておくこと。

今まで通りの方が楽だし良いって思うならそれでも良い。
でもその中に嫌々があったら少しずつ取り除こう。
そして別の方法を考えよう。
自分で試行錯誤しよう。
自分で実験しよう。
上手くいかなくても、上手く行っても、自己肯定感は少しずつ育つ。

自分の人生を自分の意思決定で自ら舵を取ること、
それが自己肯定感を高める事にきっとなるから。


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