知り合いに話しかけられない話

娘の幼稚園の運動会があった。
そこには知ってる人知らない人もちろんいるんだけど、
同じバス停のママさんもいて、挨拶してもいいんだろうけどしなかった。

後でバス停の知り合いのママさんが他のママさん方と楽しそうに話していて
近くにいた私はなんか居心地が悪くなった。


まぁ別に話したいわけでもないしその人達と仲良いわけでもないしなと離れたとこに行こうと移動した。

この不思議な気持ちを後ほど考えてみた。


まず、同じバス停のママさんに話しかけなかった
それはまず、
建前として「知り合いに話しかけたほうがいい」
というのが心にあるけど
それをせず話しかけなかったという
自分の社会概念に対する罪悪感。
『自分の思い描く普通』の人のする事をしなかったのではないか、という気持ち。

そして、それをしなかったから他の人との話にも入れなかった?
という相手には全くその気はないのに、自分だけ『自分の思い描く普通』をしなかったために仲間外れにされたような気持ち、惨めな気持ちになった。
しかし現実に加害者は1人もいない。
いわゆる被害妄想。


『みんなと仲良くしなきゃいけない』

その為に苦しんでいたんだ。
笑ってる人がいるなら合わせて笑わないと。
意見は合わせないと。
そうじゃないと仲間外れにされる。
仲間外れにされると、陰口を言われたりする
嫌な気持ちになる


しかし現実問題、
私はその話の輪に入る必要はなかった。

バス停の知り合いに話しかけなかったことは、
悪いことでも何でもなく、
根本的に話しかけたくなかったんだろう自分が。

特に話したいこともなかったんだろう。
でも『話しかけなきゃいけない』みたいなのを思い詰めてた気がする。


私が悪かったかなぁと
何も誰も悪くないのに考えてしまっていた。

でもまず、話しかけたくなかった自分の気持ちを認めたら、すごくスッキリした。
あ、話しかけなくてもいいんだー!って。


話したい人がいたら勝手に話しかけてる。
それだけの話だ。

話しかけたい人はいたけど、近くで見かけなかったので話せなかった。
でもそれを悔やむこともないよ。


誰かに陰口言われる?
あの人いつも1人ねって?

それが嫌だなと思ってたけど

そういう人と仲良くなりたいかって言われると
一生関わりたくないなと思えたから

1人ねって陰口いう人の事はこれっぽっちも気にしなくていいことが分かった。

そして他人は1人かどうかとかそうそう気にしないし、
1人かどうかを気にする人は、
自分自身が1人になりたくないと思ってる人なんだ。

嫌な言葉には引っ張られてしまうけど、
引っ張られて地獄に落ちるなんて嫌だ。

嫌な言葉には引っ張られないように
相手の考え方、その人と仲良くなりたいかどうかを考えていこうと思った。

そしてみんなと仲良くなる必要はない。

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