転勤先でのワンオペ育児、産後うつ

東京生まれ、東京育ちの私ですが、
結婚とほぼ同時に夫が香川県高松市に転勤になりました。

初めての地方住まいに戸惑いつつも楽しく過ごし、独身時代から続けていた英会話学校の高松校でマネージャーをしていましたが、
高松での生活が2年となる頃に妊娠。
出産と同時に退職しました。

出産したのは、29歳と358日。
30歳の誕生日が出産予定日だったので、母子同じ誕生日を期待したものの、
長男は1週間早く産まれてきました。
3,200gの元気な男の子。

東京での里帰り出産でしたが、当時は姉夫婦が実家にいたため、
なんとなく気兼ねして居心地悪く感じてしまい、
優しい夫に期待して、産後1ヶ月で高松へ戻ります。

息子は本当に寝ない子で、1時間半おきにぐずる始末。
放っておけとアドバイスされても、放っておくといつまでも泣き続け、
1時間以上泣き続けることは日常茶飯事。
何をしても、どうなだめても泣き止まない…

息子と2人きりのある真夜中、あまりに泣き続けるので心配になり、
タクシーを呼んで病院へ向かうと、なんと息子は車内で気持ちよく
寝てしまいまい、ドライバーさんに謝って家へ引き返してもらうなんてこともありました。

当時、夫はカーテンレール会社の営業マンで、担当は高知県全域。
「高知」と「高松」、見た目は似ていますが全く違います。
高松から高知まででも100km以上、高知県内もかなり広く、
香川県の約4倍の面積があります。

週末は自宅で過ごすものの、平日は高知県を転々と移動するホテル住まい。
そんな過酷な労働状況の夫に、週末だけでも夜泣きの息子をみてくれとは
言いにくく、たとえお願いできても、泣き続ける息子の横で
夫が寝入ってしまったり…

人間、まとまった睡眠の取れない日が続くと、
おかしくなってしまうものです。
布団を干しながら、
「このまま事故に見せかけて、6階のベランダから落ちてしまおう」と
毎日毎日思っていました。

思い返せば、あのときの私は「産後うつ」だったんでしょう。
しかし当時はそんな言葉もなく、マタニティブルーといったざっくりとした表現で、心療内科に行くような発想も助言もありませんでした。
たった1人の我が子さえ笑顔で子育てできない自分が情けなくてたまらず、楽しそうに子育てをしている人を見ると、自己嫌悪で苦しむ日々。

一度行政に相談してみたところ、電話がきました。
「大丈夫ですか?」
「眠れなくてつらいです」
「そうですか、でも元気ですね」

近所の主婦先輩に相談すれば、
「私も大変だったわ。皆が通る道よ」

むしろ、それくらいできない自分がダメと責められた気がするのです。

いよいよ追い詰められた私は初めて、
それまで一度も相談したことのない自分の母に電話し
「子育てが苦しい。もう死にたい」と伝えました。

翌日、母が血相を変えて高松へ飛んできました。

母は、世間でいう「母親らしいこと」は全て苦手、
いわゆる「主婦業」も大っ嫌いな人で、唯一するのは洗濯。
それも、晴天の強迫観念にかられてしぶしぶするだけ。

そんな母が来てくれたところで、料理をしてくれるわけでも、
部屋が片付くわけでもない。
しかし、もうひとりぼっちが耐えられなかったのです。

そんな母に、本当に救われました。
口は悪いが明るい性格で、いてくれるだけで気が紛れる。

弱音を吐いてはいけないと勝手に思い込んで、
頑張りすぎていたことに気づけました。
弱音は吐いていいのだと初めて分かりました。

児童虐待や心中事件を聞くと、他人事とはとても思えない。
一歩間違えば私も同じことをしていたのです。
平均台ほどの狭い足場を歩き、
そのすぐ横にエアポケットのような闇がある、そんな感覚。

「こどもはみてるから、昼寝しておいで!」

2007年に江東区議会議員に当選してからずっと、
そんな気持ちで子育て支援に取り組んでいます。


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