娘の誕生。それはまさかの…

プラダーウィリー症候群という障がいをご存知ですか?

指定難病であり、15,000人から20,000人に1人しか生まれない
珍しい病気です。

第二子である娘は、産声もあげずに生まれてきました。
筋緊張がなく、くたっとしているのです。
すぐに保育器に入れられ、NICUで数ヶ月過ごすことになります。

娘より先に退院した私は、真夏の猛暑のなか
バスで毎日娘に会いに行きました。
「生きていてさえくれればいい」
思うことはそれだけ。


娘の病名はなかなか分からず、筋ジストロフィーや心疾患が疑われ、
検査入院をすることもたびたびありました。

私自身は生まれてから一度もタバコを吸ったことがないし、
25歳から飲みだしたお酒も、当時は健康な子どもを生みたいと控えていたし、妊娠が分かってからはもちろん一度も飲酒していません。

健康を意識して気をつけたのに、健康に生んであげられなかった。
これまで母になるために健康な生活を心がけていたことが
虚しく思えて仕方ありませんでした。

子沢山家族番組などで、妊娠中の母親が、タバコを吸っているシーンを見ると、言いようのない嫌悪感が湧き上がりました。
あの人達は子どもがみんな健康で生まれていることに感謝しているのか?
当たり前だと思っているのか?
あの手の番組は今でも苦手で観られません。

車を運転しない私は、2歳になっても歩けない娘を抱っこし、
今でも通院する埼玉の病院や、
作業療法士や理学療法士の作業療法のための専門病院、
橋区小茂根の心身障害児総合医療療育センター、
葛飾区四つ木の療育センターなど、あらゆるところを必死で通いました。


当時はバリアフリーでない駅が多く、娘を抱っこして電車を乗り継ぎ通院するのは楽ではありませんでしたが、その当時娘の子育てでキツイと感じたのはそれくらいです。

プラダーウィリー症候群の娘は、小さいときはよく眠る静かな子どもで、
健康で生まれても人一倍手のかかる息子に比べれば、天使のようでした。

娘の子育てがキツくなってきたのは中学2年生の頃からです。
プラダーウィリー症候群という障害を持って生まれたときから
覚悟していたことではありましたが、
私の想像をはるかに超えてきました。

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