見出し画像

The Days of Wine and Roses

その頃、自分自身がどれくらい「大人」であることを自覚していたかは、もう覚えていない。
とは言え、そもそも、煙草を吸える、お酒が飲める、選挙に行ける、そんな権利を得ただけで、僕自身はこれっぽっちも大人なんかではなかったのだけれど。

何とか「大学生という生き物」になる事ができた僕は、地元から電車を乗り継ぎ、トニー・マコウレイとトニー・マクレッドの手がけた音楽をCDウォークマンで聴きながら、毎日山手線の車窓の向こうに流れる景色を眺めて大学へ通った。

キャンパスの小さな大学だった。
大江千里さんのアルバム、「乳房」くらいまでの楽曲越しに垣間見て、背伸びして、覗き込んで、想像して、憧れていた眩しいキャンパスライフではなかったけれど、それなりの「大学生」を過ごした。

今よりもっと人の顔色を窺っていたし、それでいて傲慢で、身勝手で、怠惰で、でも一丁前に、容姿を始めとするコンプレックスなどのあれこれも、沈殿物のようにちゃっかり携えていた僕は、初めての世界に受け入れてもらう事にも、そしてそれを受け入れる事にも、少し時間がかかった。
春、ジャズサークルに入部した僕は、うまく人と付き合ったり向き合ったりする自信がなくて、一年生最初の夏合宿には行かなかった。いや、正しくは多分、行けなかったのだ。
それでも、その後も親切に声をかけてくれる人たちが、そのサークルにはいた。おかげで僕はその年の学園祭からサークルの催しに参加できるようになったし、その後はそのサークルでの世界を中心にして、僕の「大学生という生き物」としての一生を過ごした。

そんな僕が当時サークルで出逢った人たちと、しっかり「大人」になってからお酒を飲む機会が訪れた2024年。こんなことがあるなんてねェなんてひとりごちながら、やはり山手線に揺られた。
陽が落ちるにはまだ少し早い時間。窓の向こうの流れる景色を眺めながら僕は、いつの日かバブルガムポップを聴いていたハタチそこそこの青年の背中を思い浮かべる。
あの頃の僕は、毎日何を考えていたんだっけ。

降り立った池袋の街は数年ぶり。実に久しぶりだったのだけれど、文字通り様変わりしていた。
その頃はよく池袋という街で遊んで、飲んで、うろついていたけれど、バッチーンッ!と頬を叩かれるように何かを思い出せる景色では、もうなかった。

東口からぐるりと西口に回り込むと、懐かしい面影が二人分。程なくしてもう一人がやってきて、その彼の予約してくれた飲み屋に向けて歩きだす。道中、それぞれ思い出した事を、それぞれが思い出したタイミングで、ポツリポツリと話し出す。
ああ、マルイがなくなってるんだね、公園があの頃とずいぶん変わって綺麗になっているよ、この辺りあんまり歩いた事なかったな、とか。

賑やかな店の入り口を抜け、通された座敷席であぐらをかく。ハイボールで唇を濡らす。
今どんな暮らしをしているとか、卒業をしてからどんなことがあっただとか、大学生だったあの頃、どんなことをしたとか、今なら誰に会ってみたいか、とか。
みんな大人になって、生き方が変わって、守るものが変わって、責任が変わって、哲学が変わって、当時のようには向き合えなくなっている分、今だから出来る向き合い方を、会話の間に間に探っていた、そんなあっという間の数時間だった。

次にまた会うことは出来るのか、それは分からないけれど、まるで知らない場所のように綺麗になった西口公園を、僕の同期だった男3人が歩いている背中を見ていたら、「そういえば、こんな風にこいつらの姿を見たことなんて、なかったかもな」なんて事に気づけた、2024年。夏になる、その少し前の出来事。

変わったとか、変わってないとか、
実はどうでもいいのかもね。

ちょっと気持ちが向いた時に、サポートしてもらえたら、ちょっと嬉しい。 でも本当は、すごく嬉しい。