見出し画像

砂漠

 一九九五年製作のレジス・ヴァルニエ監督作品『フランスの女』は、同年に日本でも配給され、そのノヴェライズもその年の暮れに早川文庫の一冊として刊行された。
 私にとっては忘れがたくもあり、ある意味では——つまり翻訳でもなく自前の作品でもないという意味で——罪深くも感じられる作品でした。刊行から二十年以上も経った二〇一九年の一月から三月にかけて、八回に分けて旧ブログに連載したものです。
 それをこのnote のページにも再録しようと思ったのは、本人にも窺い知ることのできない執着があったからとしか言いようがありませんが、旧ブログも捨てるには忍びなく(写真だけは週に一度更新しています)、かといって長編小説の翻訳と旧ブログの更新とこの note への投稿を三つ並行して進めるのはほとんど肉体的に不可能なので、窮余の策として旧ブログからの再録を思いついたのでした。
 そういったわけで、この「フランスの女」を読みつづけてこられた方のなかには、映画内に流れる時間と旧ブログに連載したときの時間と、現在の時間の流れが入り混じって、多少困惑を覚えている人もいるかと思います。
 そこで、時間の整理のために少しここで解説めいたものを書いておきましょう。
 とりわけ二つ目の*のあとの、「シリアは今、内乱の果てに見るも無惨な姿をさらしている」という一文で始まる断章は、二〇一九年の時点で書かれたものです。シリア内戦はいまだに収束したとは言い難い状況ですが、それから四年後の今、ロシアによるウクライナ侵攻が泥沼化しているところに、パレスチナのハマスがガザのイスラエル居住地区を急襲し戦争状態に突入し、もはや世界は制御できなくなるのではないかというところまで事態は進展しています。
 このノヴェライズを書いた本人が今、この箇所を読み返していると、ルイス・ヴァルニエ監督がこの映画で描きたかったものがよく見えてくるような気がします。
 男女の闘争と諸国間の抗争は、おそらく人類の歴史とともにあるとか、したり顔で言うつもりはありません。ただもう絶句するばかりです。
 絶句や沈黙は無意味だという人もいるかもしれない。でも、言語が担う意味とは何か、行動が担う意味とは何か。それを考えることのほうがよほど重要ではないのか、と私は思うのです。戦争はおびただしい犠牲者を生み出す愚行であるだけでなく、人間の知性が仮面を脱いで正体を現しただけではないのか。人間の知性や言語は、なんら誇るべきものではない。知性や言語は平和に与するものではないということを戦争は証明しているのではないか。
 そう考えるとき、私は無限に口をつぐんでいたいと思う。

 「フランスの女」七回目の冒頭は、砂漠の描写から始まります。その引用のあと、「これはジャンヌが見た風景ではない。映画に映し出された光景でもない。実際にこの目で見た風景だ」と続きます。私が一九八〇年現在に見た砂漠の光景をここに書き写しておきましょう。

 エルウェドまであと二、三十キロ、そのくらいの地点だったと思う。なにしろ記憶が遠いうえに、サハラはあまりに広大すぎて距離がつかめない。ラムダニがあともう少しだと言った。砂漠に夕暮れがせまっていた。
 フロントグラスから空を見上げると、青みが消えて、大気全体が薄いグレーに染まっている。大地も灰色、空も灰色、どこもかしこも灰色、でも透きとおっている。
 真っ正面のやや斜め上に月が見えた。蒼白の月が、手を伸ばせば、ざらついたクレーターに触れられるのではないかと思うほど、近くに見えた。この月を照らしている太陽がまだ空に残っているはずだと思って、とっさに振り返ったが、車のなかから背後の空が見えるはずがない。後部座席には坂口がふんぞり返っているから、ラムダニに車を停めてくれとも言えない。
 助手席の窓を全開にして、上半身を乗り出し、斜め後方にねじって、西の果てに目を向けた。
 真っ白な太陽が、まだ悠々と地平線の上に残っていた。こんなに冷たい太陽は、後にも先にも見たことがない。月よりひと回り大きな岩石にしか見えなかった。そして今、われわれが車を走らせているこの大地も、緑と生命を剥奪された岩石なのだった。この三つの岩石はせめぎ合っていた。
 太陽が地平に傾いてもなお白く発光する空間のなかで引き合い、斥け合い、張り詰めた三弦の均衡が見えたと思い、おうと叫んだか、ああと叫んだか。ラムダニが笑い、坂口が笑っていた。

「ムルソーの食卓」第3章

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?