![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/100221265/rectangle_large_type_2_edac868bbdd6e9bfbfa406b91f38b04f.jpg?width=1200)
「日本の音大」の歴史的起源 〜 日本の音大に未来はあるか? 第4章
割引あり
「日本の音大」をふたつも、しかも学長として、いやというほど経験した政治学者として、音楽に憧れ音楽に夢み音楽を志す若い世代のために、日本という国の将来のために、音大の未来について語る責務があると思う。
【連載】日本の音大に未来はあるか?
この記事が3本目の記事となります。第4章にあたります。
全体は、「序章+13章」の全14章(14本の記事)から構成される予定です。
個別の記事を有料記事として書き進めて、ある程度まとまったところで有料マガジンとする予定です。個別の記事は、目次に沿って月に1〜2本くらいのペースになるかと思います。マガジンで一括購入した方が、個別記事の価格の合計よりも安価となりますが、マガジン購入が可能になるのは数ヶ月後の予定です。
全体の序章にあたる記事をまず最初にお読みください。すぐ下のリンクから読むことができます(有料記事)。
【執筆済】
序章 「日本の音大」に未来はあるか?
第1章 クラシック音楽の二つの意味
第4章 「日本の音大」の歴史的起源(☜この記事)
「日本の音大」の歴史的起源
「日本の音大」の歴史は、明治維新政府がその幕を開けた。明治政府は、1879年に文部省所属の音楽教育機関として、「音楽取調掛」を設置した。
「日本の音大」の歴史は、この「音楽取調掛」から始まる。
「音楽取調掛」から「東京音楽学校」へ
「音楽取調掛」は、設立から8年後の1887年、東京音楽学校となった。のちの東京藝術大学音楽学部である。
ここから先は
5,205字
この記事のみ
¥
100〜
おだちんちょうだい!頑張って書いたよ! お駄賃文化を復活させよう! ODACHINを国際語に! オダチン文化がSNSを救う! よいと思ったらサポートをお願いします!