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日本の音大に未来はあるか ① (深掘りLIVE #1 文字起こし記事)

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日本の音大に未来はあるか? ①(深掘りLIVE #1)《full version》

Campus FM6214、ライブですね。 今日は第一回目のライブになります。前にテストで一回ライブやってるんですけれども、 これが今回定例でライブを始めることにして、その一回目になります。(2023年7月28日LIVE収録)

一応ご案内すると、金曜日のこの9時5分から毎週。 内容は変わるんですけれども、毎週金曜日。それから土曜日の朝9時15分から、9時45分まで。これは公開で、一般公開でやるという、 ダラダライブっていうやつをやろうと思っています。さて、今日は深掘りの日なんですね。 深掘りフィードフォワードの日ということで、第2・第4金曜日は深掘りの日ということなんですよね。(注:現在は不定期)

何をテーマにしようかと思ったんですが、 やっぱり日本の音大に未来はあるかというね。これについて、ちょっと1回目の深掘りをしてみようかなと思います。

日本の音大問題

この日本の音大問題っていうのがありまして、 最近で言うと、音大詳しい方はわかると思うんですけど、ちょうど去年ですね、『音大崩壊』。 音楽大学崩壊という衝撃的なタイトルの本が出まして、「5年後にヤバい音大、生き残る問題はどこだ」という帯が付いてるんですけど、 天下のヤマハが出してるんですね。音大崩壊。

これについての書評は、 私のnoteにも書いたんですけども、そこで言いたいことは大体書いたんですけど、 ここに書かれてある2つのアプローチだけでは、到底日本の音大は救えないというふうに私は思っているということです。

私は何者かなんですが、私は一応音楽大学で学長を務め、 その後、音楽学科を持つ芸術系の大学でも学長を務めということで、足掛け12年にわたって日本の音大の学長をやったということと、あと、考えてみれば25年にわたって音楽大学で教員として働いてきたという。

そんな中で色々音大について、 実際に具体的にいろんな改革もしてきたということです。ちなみに私は政治学が専門で、音楽は専門じゃない。そこも結構イレギュラーなんですけれども、そんな立場から逆に見えることもたくさんあるだろうと思っています。

この書評については、少しメンバー限定の収録音源ですでに一度ちょっとだけ話してるんですけどね。今日はその元になっていると言うと変ですけど、 この本にちょっと触発された部分はあるんですが、日本の音大に未来はあるかという連載を、 今、私のnoteで始めてまして、ちょっと筆が止まってるんですけども、一応3章分は書いたんですね。序章と1章と4章にあたる部分はもう書いたんですね。

日本の音大に未来はあるか?

ここでは何を書こうとしているかというと、 日本の音大に未来はあるかということで、別に未来がなければいいと思っているわけじゃなくて、とにかく未来を作らないと。日本で音楽を志す若い人たちにも直接関わる問題なので、そういった期待にも応えるためには、役割を果たすためにも 日本の音大がやるべきことは結構あるんですが、ただ私がこれまで実体験してきた日本の音大。

自分が勤めた大学だけじゃなくて、いろんな音大の情報や、 実際にそこの評価をしたりとかっていう仕事もしてきたので、結構、音大業界は詳しいんですが、その経験やあるいは私なりの実績から言っても、やっぱり結構深刻なんですよね。

これからとにかく少子化がさらに進行するわけで、今の規模をやっぱり今のままでは維持できない。各日本の音楽大学はいろんな努力をしているんだけれども、やっぱり私の目から見ると、まだまだ狭い考えに捉えられていて、 全く追いついていないという、そういうふうに思うんですよね。だからこの問題は結構重大な、重要な問題だということです。

連載「日本の音大に未来はあるか」

この日本の音大に未来はあるかという記事、有料記事なんですけどね。noteに序章と1章と4章、すでに書いてます。そこでも書いたんですけど、とにかく私みたいな立場で、やっぱりこの問題について書かないといけないという思いもあって、今回ちょっと書き始めてるんですけども。1回じゃ終わらないので、何回かに分けてちょっと深掘りしていこうと思います。

まずはその記事の組み立てとか、どんなことを書こうとしているか、どんなことを書いてきたかっていう話を最初にちょっとしようかと思ってるんですけども。1つは日本の音大に未来はあるかということで、ちょっと総論的な話を書いて。

それから1個大事なのはやっぱり日本の音楽大学っていうのは、クラシック音楽ですね、西洋の中心に、それをメインで教育してきたという。それもちょっと実はよく考えると不思議なことなんですが、そのクラシック音楽ってそもそも何なのっていうことですね。これはやっぱり考えざるを得ない、クラシック音楽の扱い、どうするか。

それからもう1個はやっぱり歴史ですよね。そもそも日本の音大はいつどうやってできたのか、どうしてこういう形になったのかということをやっぱりはっきりさせなきゃいけない。そのあたりはもうすでに書いたんですね。

リベラルアーツと音楽

その内容をこれからちょっとだけ紹介していこうと思うんですけども。あと全体の組み立ては、今言った、最初にクラシック音楽の意味というクラシック音楽って何なのって話と。それからもう1個はリベラルアーツっていう、これはよく聞く言葉だと思うんですけど、やっぱり音楽はリベラルアーツの1つなんですよね。

日本ではこのリベラルアーツって考え方がやっぱり言葉だけはあるんだけど、実際には非常に弱いですね。日本の大学ではリベラルアーツへの取り組みが弱い。あるいはそれを意識してやってる人たちや組織がいたとしても、それは部分的、限定的。トータルな形でリベラルアーツに取り組んでるところはやっぱりないですね。

よく例として挙げられるのは国際キリスト教大学なんですが、そこは一番日本ではリベラルアーツ、最先端をいってるっていう話なんですが、ただそこで音楽がどこまで取り組まれてるのかと、リベラルアーツの中でね、あるいは体育的な要素とかね、本来のリベラルアーツ的な要素はどこまで取り組まれてるかって、やっぱりちょっと偏ってるんですよね。

ユニバーシティと音楽大学

それからもう1つは、大学なんですね。音楽大学で。音楽だけじゃなくて、やっぱり大学っていうベースの上に音楽が乗っかってるわけで、じゃあ大学って何なんだ、大学としてどうなんだっていうね、そういう問題があるわけですよね。だからこれは音楽とユニバーシティの関係。音楽とユニバーシティの関係を一個考えなきゃいけない。これが1章、2章、3章なんですね。

それから4章、既に書いたんですが、日本の音大の歴史的な起源。そもそも日本の音大はいつどうやって始まってどんな特徴を持ってきたのか。なぜ今のこういう形になっているのかという話の大元の話ですよね。明治に遡るんですけど。そこから出てきたいわゆる日本の音大の特殊性。今、出来上がっている音大という世界。独特の世界ね。これが4章、5章、6章で書いていく。

7章、8章では、展開ですけれども、日本の音大はいつどこで間違えたのかという問題。それからもう一個は、日本の音大は何を間違えたのか。いつどこで何を、これをはっきりさせなきゃいけない。これが7章、8章。

音楽大学の特殊性と普遍性

9章、10章では、そもそも音楽の普遍性って何なの?、音楽って何なの?それから10章では大学の普遍性とは何か。そもそも大学って何なの? ユニバーシティって何なの? という。音楽の普遍性とは何か、大学の普遍性とは何かというのを考えた上で、最後ですよね。

11章、12章、13章では日本の音大は普通の大学になれるかという話。これは要するに音楽大学っていうのの、音楽を取れって言ってるわけじゃなくて、大学としてまずやるべきことをやるような大学にならなきゃいけない。普通の大学にならなきゃいけない。スタンダードな大学にならなきゃいけない。

それから12章では、日本の音大は音楽を普遍的に扱えるか。つまりやっぱり偏ってるんですよね。取り扱う音楽が。だからもっと音楽を普遍的に扱うべきなんだけども、それをできるのかと。実際ね。ここに対する抵抗は相当強いですね。

最後、日本の音大は普遍的な大学になれるかという。そういう組み立てで一応、構想はしてあって、まだ3つしか書いてないからあと10章書かなきゃいけないんですが、これはこれでやっぱりちょっとしっかりと書きたいなと思ってるんですね。


日本の音大は二重の意味で特殊だった

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