第2回熊野宏昭・光吉俊二対談

    昨日に続き、お二人の対談の要旨を紹介したい。
<第2回対談の背景>
 光吉俊二氏が広島大学の町田宗鳳名誉教授(ありがとう寺住職)との対談において、「反というのが非常に重要で、禅の悟りが、例えば人間の認知機能を全部阻害して、宇宙と繋がる、仏と繋がる、すなわちそれは我々の数学の世界でいくと、アンチヒューマン、反人間の世界と繋がることで、人間らしいすべてのセンサーを遮断して繋がる、と数学的に解釈します」と語られた。これは、禅定において特異的突破が起こっていると言っているのではないか。そして、そうだとすると、我々の誕生や死の瞬間においても、特異点を突破して、反宇宙と関わっていることが起こっているのかもしれない。数学的にそのような解釈が可能なのかお話ししてみたいと強く思った。
 1回目の対談で光吉演算子とは以下のような性質を持つものであることがわかった。それは、割り算の代わりに切り算を行うためのものであるということ、切り算とは左端と右端がある部分を任意の割合で切る計算であること、左端と右端があるということは、そこに二つの「概念(意識)」を位置づけることができること、切るという「行為」とその結果生じる割合という「量」を同時に表現できること、切る位置は自由に動かすことができ(動算)、その方向性の中に時間の性質を封入できること、などである。
 結果的に、光吉演算子はアナログとデジタルを常に同時に測定できるという性質(これを光吉俊二はクオンタルと名づけている)を持つことになるが、たったそれだけのことが大変な機能を実現することになる。それによって、これまで統一的に理解することできなかった相対性理論(物質)と量子力学(波動)の全体を包含する万物の理論が成立し、華厳哲学の極致とされる理事無礙・事事無礙も、数学的に表現されることになると考えられる。つまり、光吉の数論が理解できれば、瞑想の行きつく先を知ることも、コロナ禍に至り完全に行き詰まりを見せている世界が、突き抜けて行くと方向を知ることもできるのではないかと考えられる。そこで、以下の質問をお伝えした上で、第2回対談を行うことになった。

<質問⑴ 光吉演算子の数式に沿って我々の自我(個人的意識)が働くようにするためにはどうすればよいか。
質問⑵ 自我を持つ我々が、特異点を突破し、戻ってくるには、意識の枠組みだけ残して中身を空っぽにすることによって空に達し、意識の枠組みが中身が無限大の世界(反空)を体験し、また戻ってくることが必要と考えればよいでしょうか。
質問⑶ 上記がもしできるとすれば、我々の意識の中に特異点が存在し、それを突破する方法がなければならないと思いますが、それは数式上、可能なのでしょうか。

●意識を数式で表すとどうなるか
<光吉> 四則和算(切算、動算、重算、裏算)は、切法一cut一識、動法一態、重法一結、裏法一rev一裏、と対応付けをしています。意識の切り分け「分ける機能」が「切算」で『識」を導出します。ここで導出された「識」動く計算を「動算」と呼び、状態を表す機能になります。この動算が概念を面にした状態を「態」として算することを「重算」と呼び、概念の面に挟まれた空間を「結」とした体積で算出するのです。
 また、「動算」での動きであるf(関数:波動関数)がたすき掛け算により、「質」として導出される算術を「裏算」と呼び、「内質」と「共質」を求めることができる。求める値は四則演算ではなく、識態結質(四則和算)となり、これを使うことにすれば、人類の文明が全然別のものになる。
<熊野> これが「意識の数式」の内容ということですね。
<光吉> 物理と意識が一体化する瞬間がここにあります。光吉演算子にf(function:関数)をつけて、この直下で切断(切算)する、そうしてその帯の片方をくっつければメビウスの輪になります。この世の中の真ん中にどこでもゲ―トはあって、MU(無)で全ての軸が直交するので、正に対する反が無限に存在し、重なっている状態∞同値0、多様性が理解できる。
<熊野> メビウスだと内側も外側も両方見えるわけですね。
<光吉> そうです。それが、波動(空)と粒子(無限)の両方が見える世界になります。僕の数理で計算していくと、(0同値∞)=1、すなわち宇宙は最初から存在し、神は存在し、宇宙は最初から整っているという答えになるんです。肉体と意識は量子レベルでクオンタルによりセットになっていますから、肉体は物質(表)、意識は波動(裏)と考えれば、波動はフーリエの逆変換で合成できますから、一つの大きな宇宙意思と言われているものの中に入っちゃえば、故郷に戻るということ。そうなると、今まで宗教で言われていたことがすべて数式で言えちゃうということになる。即身成仏義をそのまま数式にしているようなものです。空海の世界になっちゃってるんで。
<熊野> 私20歳の頃に、突然目の前の世界がワッと変わって、エネルギーの中に引き込まれるようになって、そしてその世界はですね、意識はちゃんとあるんです。耳も聞こえているのですけど、身体感覚がないんですね、ゼロなんです。右も左も上も下もないっていうことだけが、とてもはっきりとわかった。
<光吉> それが反空です。中身だけあって、概念がないんです。もともと鄭雄一東大大学院教授がサンガで出版したアルボムッレ・スマナサーラ長老との対談『道徳ロボット』で表現した、道徳時間と共感力、あれを数式に落とし込んで機械に入れるというのが僕の仕事だったんです。道徳を科学で表現しているんです。それが僕の魂の叫びですね。

●四則和算と武道
<熊野> ロボットにもし人工自我を与えられるとしたら、人にも与えられるんじゃないか。
<光吉> 小学生が四則和算の切算とかを覚えちゃえば、戦争を起こす気持ちさえ起きなくなるんですよ。どの哲学も宗教もそれを目指しているのですが、途中で組織が出てきて、組織の維持、利益を求める。マルクス主義も宗教も同じ二元論で、自分以外は敵だ、殺せに行く。それを突破するには教育しかない。そのためには「子供でもわかる四則和算」という本でも出さないといけない。身体性の修行を体現しながら、この数理と向き合うと人間は上昇する。そして技術はマインドをアシストして危ない人たちを優しい心に変えていく、そのためのテクノロジーということなんですね。これが先生の質問に対する僕の答えです。
<熊野> 身体性みたいなところも、子供たちは身につけていくことはできるのか。
<光吉> はい、可能です。なぜかというと、自我の爆発のあたりでこの算数を理解すると、それを理解した頭で運動なりを体験することになりまs。そうすると、自と他というものが、統合失調のような形ではなく、お互いの存在を理解しながら、繋がっている感じがわかるんですね。合気道、武道を通すことによって、はじめて戦う相手を尊重する気持ちが養われるんですよ。「割り算」な文化の下での競争ではなく、武道は「いただきます」の精神で戦います。武道で「残心」と言いますが、これが武士道の原点です。

●デジタルとアナログを融合したクオンタル
<熊野> クオンタルとは何か
<光吉> クオンタルとは、クオンタム(量子)とデジタルを合わせた僕の造語で、デジタルとアナログが融合された状態です。ホメオスタシス(恒常性)と思っていただいて結構です。ある閾値と閾値の間を健全に、恒常性でどう揺らいでいるかを計算する関数なんですね。「統合医療」に近いです。
<熊野> わかりました。先生はソニーの開発したデバイス「窓」とのコラボもされていると伺っていますが、具体的にどういう道筋を思い描いておられるのですか。
<光吉> デジタル的な技術と四則和算を使うと、本人に疑似的に憑依をすることができるということが、ソニーの窓とコラボすることで見えてきたんですね。ソニーの窓というのは、大きなディスプレーに映し出された向こう側の空間を全身で感じ取ることによって、その空間にいるような疑似体験を起こさせる装置なんです。その技術とクオンタル技術によって疑似体験を起こさせて、そこで簡単に考え方をインストールしようということです。これは密教の灌頂(かんじょう)を受けた後で、暗闇に行って、門をくぐって、一回生まれ変わるような儀式のちょっと高度なようなものです。そういう感覚値をもってもう一度勉強し直すと、「ああ、わかった」となります。その時の感動が大事なんです。これを「縄文の回帰」と言っています。
<熊野> ソニーの窓デバイスを活用することで、空の世界を体験させて。
子供たちに光吉演算子を理解してもらうような、教育プログラムを作り、そこに窓デバイスを組み込んでいくみたいな。
<光吉> そうすれば、この窓デバイスを使うことで「心のインターネット」になるんですよ。これが文系と理系を即身成仏で一つにしちゃえという僕の考えです。だから数学の中に意識を入れて、プログラムを組めるようにすれば、詩や小説を書くようにプログラムができる。弥栄の世界を想像してもらえば、その通りのプログラムができる。コインの表裏のように裏側を知れば、何でその表が出たか、裏が統一されていれば、それが式として書けることに気づけば、簡単なことなんですよ。西洋の二項対立、二元論でnot(否定)しかないような論理学では人間の頭の中がデジタルになっちゃう。だから、rev(リバース:裏)というのを入れて、四則和算を入れて、ダイバーシティ(多様性)を頭の中に作って、連続量で考えることが大切なんです。 この数理が量子コンピューターの制御に使えそうだと特許に認められたもんだから今大変なことになっているんです。
<熊野> クオンタルというのは、アナログにデジタルも加わているっていうこと?
<光吉> 即身成仏がクオンタル。仏と人が合体した「逆裏重ね」状態がクオンタル。invとrevで逆転「逆裏重ね」になるのです。マルクスの学位原著論文にも、リーマン球界とメビウスの輪が登場するのですが、同様に反となる「裏リーマン球体」「逆リーマン球面」、反となる「逆の裏リーマン球体」が存在しないので、反からの創発や位相転移などがないため、全体主義だけの社会となり、ブラックホールのように微分された粛清の嵐がその社会内にて生成されるのが数学的に予測できるようになりました。


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