親による子の世話の4要因一行動生態学の視点から

 生物の不思議な特徴について、オランダの動物行動学者ニコ・ティンバーゲンは、4つの「なぜ」に答えなければならないと考えた。それがどのような仕組みであり(至近要因)、どんな機能を持っていて(究極要因)、生物の成長に従いどう獲得され(発達要因)、どんな進化を経てきたのか(系統進化要因)の4つの要因である。
 行動生態学者の総合研究大学院大学の長谷川眞理子教授は、『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)第5章において、「親による子の世話」の以下の4要因について詳述している。
⑴ 至近要因一その行動が引き起こされている直接の原因は何か
⑵ 究極要因一その行動は、どんな機能があるから進化したのだろうか
⑶ 発達要因一その行動は、動物の個体の一生の間に、どのような発達をた
  どって完成されるのだろうか
⑷ 系統進化要因一その行動は、その動物の進化の過程で、その祖先型から
  どのような道筋をたどって出現してきたのだろうか

●親による子の世話の至近要因
 親が子の世話をするという行動が引き起こされる直接の原因は一体何か。動物は、自分自身の子ではない赤ん坊に対しては、無関心であるか、忌避するか、または攻撃的に振舞う。しかし、子供を産んだことのない若い雌ラットに、毎日1,2時間ラットの赤ん坊を見せると、5,6日で雌はその赤ん坊に対して世話行動を見せるようになる。雄も時間がかかるが同様である。
 また、ラットの母親の世話行動がずっと維持されていくためには、赤ん坊側からの働きかけが重要で、赤ん坊の匂いや動きが、さらに母親の世話行動を誘発する。羊も同じで、赤ん坊がメエーメエーと声を出しているのを聞き続けていないと、世話行動を維持しない。
 親による子の世話行動は、基本的には妊娠、出産に続くオキシトシンなどのホルモンの支配下にあり、赤ん坊との相互交渉によって維持されていく。雌の鳥の巣作りや卵の上に座って温めるという行動も雄鳥の世話行動も、交尾後のホルモンによって制御されている。
 人間の場合には、特に母親を取り巻く人間関係や社会環境に大きく作用される。赤ん坊を抱き上げる、話しかける、あやすなどの行動が出現する頻度は、それぞれの母親たちによってかなり異なり、このような「愛情行動」の頻度の高い母親ほど、血中のホルモンのコルチゾル濃度が高く、この関係は、妊娠中ずっと赤ん坊が生まれるのを楽しみにしていた母親において顕著であった。
 この研究によって、親子関係は相互作用で成り立っており、夫とうまくいかない、子供が欲しくなかった、家族の支援が得られない、地域で孤立しているなどの子育てに好ましい社会条件も子育てを誘発する大きな至近要因であることが明らかになった。

●親による子の世話の究極要因
 どちらの親が子育てをするのかは、一体どのような究極要因によって決まっているのであろうか?このことは「ゲーム理論」と呼ばれる考え方を用いて研究されてきた。雄と雌の相手の出方によって自分の行動が変化するような状況を取り扱う数学的な方法が「ゲーム理論」である。
 アフリカから中東にかけて分布しているセント・ピーターズフィッシュという魚は、場所によって、雌だけが子の世話をする集団と、雄だけが世話をする集団と、両親がそろって世話をする集団があるという。
 メイナード・スミスによる、子の世話の進化モデル(同書151頁の図参照)によれば、それぞれの親が、相手の出方によってどういう行動を選択したかで親の世話の様式が決まるという。数学的にはきれいなモデルであるが、この魚の場合には、この「進化モデル」で実際に測定可能ではないかと長谷川は推察している。

●親による子の世話の発達要因
 次に、親による子の世話行動は一体どのように発達するのであろうか?当然のことながら、これは複数回繁殖することのできる生物において、親自身の発達に伴って、子育て行動がどのように上達するかという話に限られる。
 犬や猫の母親の世話行動の大部分は遺伝的に組み込まれ、ホルモンによって支配されている。しかし、世話行動の多くは複雑な行動なので、個々の親は細部を試行錯誤することによって学んでいかねばならない。
 さらに、危険が迫ったと察知すると、母親は子供たち全員を運んで安全なところに移動させる。南イタリアに住んでいた猫の母親が、大地震のくる数時間前に、一匹ずつ子供をくわえて遠くへ運んだとか、インドに住んでいた虎の母親が、洪水のくる直前に子供たちを安全に移したなどの、驚くべき能力が示された実例はたくさんある。
 複数回の繁殖をする動物は、経験と共に子育て行動がどんどんうまくなっていく。長谷川が研究してきたニホンザルの母親には、自分の赤ん坊に乳を飲ませるのが下手な母親、雄に赤ん坊を取られたまま2時間もほったらかしている母親、事故で赤ん坊を死なせてしまう母親などがいたが、そのほとんどは初産の母親で、経験を積んだ母親には見られないという。
 このことは、ニホンザルをはじめとする霊長類において、母親としての経験が、上手な子育てのために、どれほど重要であるかをよく示している。

●親による子の世話の系統進化
 最後に、親による子の世話が、世話のない状態からどのような道筋を経て進化してきたのであろうか?親による子の世話は、異なる動物の系統で何度も独立に進化してきた。 
 産んでしまった卵の世話をするという行動は、産んだ後に親がその場所にとどまることから進化したと考えられる。親が卵の世話をする魚類の多くでは、父親が世話をするが、それは雄が縄張りを持っていることと関係している。
 雄は縄張りを持ち、そこに雌を呼びこんで配偶する。雌はそこに卵を産むが、そこは雌にとっての縄張りではないので、産卵後に雌は去ってしまう。雄は自分の縄張りをその後も持ち続けるためにそこにいるわけであるが、そのついでに卵の世話をするという行動に進化したのだという。
 哺乳類、鳥類、魚類と、異なる脊椎動物の仲間で、親が自分のからだから栄養のある液体を分泌して、それで子を養うという方式が何度も出現している。それはプロラクチンという脊髄動物の進化を通じてずっと変わらずに保持されてきたホルモンである。
 プロラクチンは、浸透圧の調節その他、何百という体内の動きの調節に関与している。このようなホルモンが、少しずつ働きを変え、そのターゲットを変えることによって、色々な種類の動物で、授乳に似た親の世話行動が進化してきたのである。 
 
 
 


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