谷口正和『文化と芸術の経済学』⑴

 常若産業甲子園を提唱した岸本吉生氏が、麗澤大学特別講義「SDGsと道徳」の課題図書に指定した谷口正和『文化と芸術の経済学』(ライフデザインブックス新書)は、含蓄深い多くの示唆を与えてくれる名著である。私が感銘した珠玉の名文を紹介したい。

●「文化と芸術の経済学」のコンセプト

 谷口は同書の「はじめに」において、「文化と芸術の経済学」というコンセプトについて、次のように説明している。
 やみくもに量的な成長を目指す20世紀的な価値観に代わって日本の成熟した良質さに注目が集まっている。文化と芸術は、多様な自己表現を媒介として優れて多面的に社会の中で重層化している。個人の興味領域のネットワークによって従来の枠組みを再編していくことが、新たな未来への扉を開く。
 生き方と生き方が錯綜する中で生まれるもの全てが表現活動であり、文化と芸術の萌芽であり、それは数字として現れる経済活動の下に地下水脈のようにして静かに波打っている。その事実に生活者自身が気付きつつある。気付きを繋ぎながら、全体としての次世代社会の構想を暗示する。この本はそのような視点を大切な流れとして届けるものである。

●「成長」と「成熟」の違い

 「成長」と「成熟」の違いは一体何か?経済は大量生産から特徴にシフトしており、成長という言葉はもはや時代錯誤的な過去のキーワードになりつつある。求められているのは成長ではなく成熟。文化や芸術を考えるということは、成熟とは何かという問いかけと重なる。
 成長という概念は、差異に対してあまり寛容ではない。成熟というのは成長と違い、差異を認め、むしろ差異をより推奨して伸ばしていくことが大切にされる。文化も差異に注目する。
 21世紀はパラダイムシフトが次々に具現化している時代であり、若者たちは渋谷、原宿など強い特徴を持った個性豊かな独自の価値に共感し、唯一性と特殊性、独自性は資本主義経済の本流とは全く対極にある芸術性の特徴である。
 文明工業的な同一性・合理性に反発する生活者は「過程」に注目し、その商品が「何のためにあるのか」「何故あるのか」を問うのが成長社会を終えて登場した新たな生活者像だ。自らの存在意義を問う哲学者の態度であり、それが文化を生む。
 つまり、文化と芸術の経済学とは、結果ではなく過程すなわちプロセスやストーリーに対して重点を置く時代に生まれる経済原理と言える。年を経るごとに分かる料理の味や音楽の深みがあるように、成熟するということは物事に対して自分なりの確固とした評価の軸を持つということである。
 全員が専門家並みのセンスを持っていることが、成熟社会の一つの様相であり、「価値の可視化、見える化」が強く問われている。事業とは価値の可視化を連続的に行っていくことであり、可視化すべきコンセプトを自分の中で明確にしていかなければいけない。
 芸術の本質は、見えないものを見えるようにすることであり、情報が感性的な連鎖構造に置かれるなら、コンセプトの視覚化が文化芸術の第六感である。唯一無二であることがますます大きな価値を帯びてきている。
 世界で最も予約が困難と言われているスペインのレストラン「エル・ブジ」の料理は、実験性前衛精神に富んでおり、もはやアート作品に近い。わずか50席で世界から年間200万もの予約が殺到するのは、料理を徹底的に研究しようという「ラボ・コンセプト」を備えているからだ。
 色々な物語を内包し、それらを感性に一気に訴えていけるようになれば話題が市場を突き抜ける。感性の共感軸を研ぎ澄ませ、生活者の「感動の基準」を研究し、心に関する考察をきめ細やかに行うことの重要性は計り知れない。高度情報化社会の中で最終的な判断をするのはセンスであり、感性に訴える感動を作るための基準が必要だ。

●自国の「歴史的感情」と和の思想

 そのためには物事を横軸だけでなく、縦軸でも見る「歴史的感情」が常に必要とされている。次世代に受け継がれている感情が地下水脈のように流れている自国の歴史的感情への理解が必要不可欠である。
 個性とは何のバックボーンもなしにいきなり出現するものではない。先人の歩みを踏まえずに打ち出す個性は世界へと突き抜けることはできない。自己の内面を深めることで、時の魂を最創造し、あなたの生き方そのものが、世界の生き方になることを知らなくてはいけない。理想の矢を放つためのトレーニングに常に邁進する。幸福の準備とはそういうことだ。
 飛鳥時代の聖徳太子、和の思想を現代流にアレンジすれば、経営の思想、伝統と文化、芸術経営の思想につながる。和の思想は狭義のナショナリスト的な視野に収まるものではなく、地球を俯瞰する「地球倫理」の思想にまで至ることができる。
 和とは、右も左も関係なく、互いの主張の長所を相互に活かし合うことによって、未来への矢としていくことである。世界中から集まってくる参画者に対して公平にチャンスと門戸を広げ、活かすべき能力があれば活かす。それが和の思想である。日本は他国との文化的な循環を保っていた歴史に学ぶ必要がある。
 文化的センスを活性化させ、自らの生き方と振る舞いに対して和の思想を持ち込むことができれば「大和撫子」となる。問われているのは、生き方としての美しさ。センスと研究を内包すれば、生き方そのものがミュージアムとなり、社会の興味軸を一身に集める存在になる。
 美意識の高まりが、顕在化しているのが現在の社会潮流であり、物腰の柔らかさや食事における礼儀作法など、日本人としてのアイデンティティを欲している表れである。「大和撫子」というキ―ワードをしっかりと踏まえた生き方と魅力、コンテンツを構築しておかなくてはならない。
 地球全体の中で、生き方革命を求めるならば、「生存地革命」の拠点を確立し、「覚悟を持った渡り鳥」となって、行く先々で共感を広げ新しい価値を創造していく必要がある。

●「感謝」と「感性」の原点回帰

 自らのテーマを明確にし、そこに邁進していくために必要なのは「感謝」の心だ。感謝とはフィードバックの基本と言ってよい。日常の営みなども含めて自分が継続していることがあれば、それに対して感謝し、何がそれを成り立たせくれているのかを考える。その際は自分をなるべく透明にし、そこに流れる様々な人の想いを感じ、自分が享受しているすべてのものに対して同じような心持を抱くことができれば、やがては自らのテーマにそれを落とし込むことができる。
 世界に突き抜けている人は、誰しもが何かを与えている。スポーツ選手も情熱と夢を自らのの生き方を通じて与えているために圧倒的な感謝を受けている。あなたは何をすれば感謝されるだろうか。あなたが他者貢献できることは何かを考えよう。
 難しく考えるのではなく、いかに生涯幸福に生きるかを考えればよい。幸福には必ず他者の存在が必要である、幸福は他者貢献ともつながっている。「幸福の準備」をしておこう。今は、語ることで価値が生まれる社会であるという認識を持つことがこれからは重要になってくる。
 それは明日のためへの準備であり、混沌から脱却できる術となる。何事もきちんと整理しておくことが将来、幸福を実現する唯一の手段ともいえる。つまり、感性で選び出す未来論こそが情報社会の本質なのだ。
 生涯の最終的な目標が幸福だとすれば、結局は他者貢献をどのようなテーマにおいてしていくかを考えなければいけない。感謝と幸福、他者、貢献これらは全て繋がっている。自らは他者から見た他者であり、自分への問いかけを繰り返すことで他者へも同時に問いかけているということになる。あなたの発信している情報が素敵か否かが問題なのだ。
 「センス・オブ・ライフ(生き方への感性)」、どれほど自らの生き方に対して本気であるか否かが鋭く問われているのである。今、社会は人間の第六感によって構成されている。実体験を求める生活者は今、使用価値だけではないより高い概念でライフスタイルを選択する。
 この研ぎ澄まされた感性は、生活者の日常の中で磨かれ、新たな段階へと飛躍させている。まさに「感性社会の到来」である。日常の幸福によってシンプルでナチュラルな暮らしが構築されているのだ。
 情報化社会において生活者が判断の根拠としているのは感性であり、圧倒的な支持を得ようと思えば、我々自身が他者の感性にも敏感でなければならない。今、時代はまさに感性という原点に立ち返り、足元に回帰している。しっかりと根を生やした感性がいま問われている。
 本質を欠いた上辺だけの対症療法的な施策では上辺だけの変革しかもたらされない。日本人の感性文化の原点に回帰し、心の奥底に内包している日本人としての土俗性を意識した上で、価値の土俗化へと働きかけていかなければならない。
 

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