SDGsに代わる「日本型ウェルビーイング」を世界に発信せよ
SDGsには、政治的な「平和」の重要性や社会的文化的な地域の伝統文化や工芸品などを重視する視点が欠落しており、各分野・項目間の優先順位が不明である。また、SDGsの中心概念である「開発」は経済優先の片寄った概念で、政治的社会的アジェンダが欠落している。
SDGsは「誰も取り残さない」というスローガンを掲げているが、「命を守る、地球を守る」が基本テーマで、「ネガティブをゼロに」してダメージを減らすことに主眼が置かれている。しかし、「マイナスを減らす」ことと、「プラスを増やす」こととは全く異なる営みである。
SDGsの特徴の第一は「次世代」ではなく「将来世代」なので、時間軸が長いこと、第二は,SDGsの根本思想は「負の遺産を遺さない」ことにあり、「海を汚さない」とは書いているが、「正の遺産」を繋ぐような項目は無い。
SDGsは2015年から2030年までの目標なので、2030年には終わる。「負の遺産を遺さない」というSDGsに代わって、ウェルビーイングという「正の遺産」も繋いでいこうというコンセンサスが国際社会で形成され、我が国の「教育振興基本計画」の基本理念として、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が明記された。
これを実現するためには、「日本社会に根差したウェルビーイング」とは何かを明らかにしなければならない。文化心理学者である京都大学大学院の内田由紀子教授が『文化的幸福観』について論じているが、「日本型ウェルビーイング」と「地球性」「地球倫理」との関係を明確にする必要がある。
伊東俊太郎東京大学・麗澤大学名誉教授は西田幾多郎のナショナリズムを乗り越える「地球性」「地球倫理」の重要性を説いたが、従来の「存在」と「認識」の二元論的対立を打破する「場所論」の視点が必要不可欠である。
西田幾多郎が「場所の哲学」「場所的世界」ということを最初に言ったが、和辻哲郎の「風土」にも共通の問題意識が見られる。西田は「場所的論理と宗教的世界観」という論文で、「仏教において観ずるということは、対象的に神仏を観ることではなく、自己の根源を照らすこと、顧みることである。それは世界成立の根源に入ることにほかならない。…それは道徳の根底となる立場である」と指摘している。
「存在」とか「認識」といった静的なものを措定するのではなく、生成し発展し進化していくダイナミックな創成を追求する新しい知の在り方、進化に基づく動的な知の基盤をつくる「場所論」によって、「日本型ウェルビーイング」とは何かの理論構築を図る必要がある。
「日本型ウェルビーイング」の特徴は、他と切り離された個人の幸せではなく、宮沢賢治が「人類全体が幸せにならなければ、個人の幸せはない」と言ったように、他と「共に生きる絆」という視点である。
立命館大学稲盛経営哲学研究センターが共同研究の成果をまとめた中島隆博編『人の資本主義』(東大出版会)には、「共に変容」することを重視し、「変容する人間に価値」を置くHuman Co-becomingという「人の資本主義」の新たなコンセプトが提唱されている。
西田幾太郎の根本概念である「存在」に代えて「変容」を重視したことが注目されるが、子供の幸せを実現するためには教師や保護者が「共に変容」することが必要不可欠である。また、今日の政治的危機の根因である政治家の倫理観の欠落という観点から、政治家も「共に変容」することが求められていると言える。
伊東によれば、「進化という絆」「とも生きの絆」が我々と自然とを結び付け、「宇宙連関」につながるという。伊東は進化を基盤とする「進化的倫理」「地球倫理」を提唱し、「道徳の起源論」を展開した。
「日本型ウェルビーイング」はこうした「地球倫理」という「天地の公理」に基づき、伊勢神宮の式年遷宮に象徴されるような我が国の「常若(とこわか)」思想に基づくものとして位置づける必要がある。こうした「日本的世界性」を「日本型ウェルビーイング」として内外に発信すべきだ。
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