伊藤俊太郎・廣井良典対談「シゼニズムの提唱」⑴

 モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所内に事務局がある地球システム・倫理学会を設立した伊東俊太郎東京大学・国際日本文化研究センター・麗澤大学名誉教授と京都大学人と社会の未来研究院の廣井良典教授が、同研究院の佐伯啓思教授が監修する『ひらく』第2号で、「シゼニズムの提唱」と題する以下のような興味深い対談をしている。

●「シゼニズム」とは何か?

 「シゼニズム」というのは、ギリシャのホメロスと日本の『万葉集』を比較して、ヨーロッパののロマンティズムに対して、自然にイズムをつけた伊藤俊太郎教授の造語である。
 ヨーロッパの「ナチュラリズム(自然主義)」は悪い意味で使われており、文明が未発達で低い段階を指し、「やがて克服されるべき、まだ拓かれていない迷妄の時代」という意味で捉えられている。また、「シゼニズム」は「アニミズム」とも異なる自然のイズムであるという。
 ヨーロッパの「ナチュラリズム」は、文明が未発達で低い段階を指し、「やがて克服されるべき、まだ拓かれていない迷妄の時代」という意味で捉えられている。伊藤俊太郎氏は『万葉集』の研究をし、ギリシャのホメロス、ヨーロッパのロマンティズムと比較して「シゼニズム」を新たに提唱している。
 文明は自然を征服して伸びていくものであり、これらは拮抗関係にあると西欧では考えられてきたが、文明と自然を融合し、文明を自然の中に埋め込み、自然と文明の共存を目指す新しい概念が「シゼニズム」であるという。「シゼニズム」とは日本語の自然にイズムを付けた言葉である。
 科学技術がいい方向に行くか悪い方向に行くかの局面で、シゼニズムに合うか合わないか、が現代科学技術の路をどう開いていくかの判断基準になるという。

●人類史の文明転換(civilizatinal transformation)

   伊藤俊太郎によれば、現在は大変大きな文明転換の時代であり、人類史の転換期の第6番目の段階に突入した。第1番目は人類の成立で、700万年前頃に人類の祖先アウストラロピテクスで直立歩行が始まり、250万年くらい前にホモ・ハビリス(猿人と原人の中間)が登場、20万年前に(現人類と連続する)ホモ・サピエンスが出現し、これが東アフリカから世界的に拡大して現在に続く人類社会を形成した。
 第2番目は「農業革命」で、狩猟・採集の時代を経て、農耕という、食べ物を自分たちで作っていく段階に入った。牧畜も一緒に始まり、農耕・牧畜によって食べ物を作り、保存していく非常に大きな文明転換で、1万年ぐらい以前に起こり、東南アジア、パレスチナ、中国の長江、核アメリカから、それぞれの基幹農作物を異にしながら、世界中に拡大していった。
 第3番目は「都市革命」で、農耕がとりわけ発達した大河流域に国家が成立した。都市国家から領域国家となり、やがて帝国にまで発展した。ここに王が出現し、市民が形成された。それが、宗教官僚・書記・戦士・職人・商人などの社会の階層化を生み出し、都市の周囲の農民を統治した。
 そして文字が発明され、法体制も整備され、紀元前3千年くらいに、メソポタミア、エジプト、インダス、殷といった4つの地域から都市文明として広がった。
 第4番目は「精神革命」で、人間の精神原理が成立した段階で、世界宗教、哲学が生まれた。「精神革命」は紀元前5百年頃、世界で同時に起こった。ギリシャ哲学、キリスト教、仏教、中国の儒教思想などが一気に起こり、人間の内側の根本原理を問うことが始まった。
 第5番目は「科学革命」で、17世紀のヨーロッパだけに近代科学が成立し、それがグローバルな世界に拡大した。コペルニクスに始まった地動説がガリレオ、ケプラーに受け継がれ、近代科学の方法論ができ、それがイギリスへ行き、ニュートンで一応完結した。
 16世紀にはじまり、17世紀が中心となって、18世紀に完成した。それは「世界の科学化」のもとになる革命であった。科学がそれ以後、普遍化されていき、日本も明治維新の頃、この流れを受け継いだ。
 その思想を継承しながら、「産業革命」があり、現在の「情報革命」へと発展した。伊東によれば、この科学革命、産業革命、情報革命の3つはひとつながりのものであり、「精神革命」は内面の考察から世界を変えるものであったが、「科学革命」は外部世界の効率的支配の拡大であった。
 始めは知識によって、次は産業、情報へと移り変わり、それぞれ対象は変わるものの、外部世界を力と効率でコントロールしていく点では違いはない。

●自然支配と機械論による「環境破壊」

 近代科学の成立を意味する「科学革命」の両輪は自然支配と機械論という2つの要素があり、これが近代科学の本質であるが、伊東はこれを発展させていくのではなく、第6番目の「環境革命」が必要だと強調する。
 「科学革命」を導く思想的根源は「機械論」と「自然支配」で、それぞれの考えは、デカルトとフランシス・ベイコンが主導して作り上げ、デカルトは「世界は機械だ」という考えを打ち出し、機械とは人間の道具であり、世界の道具視につながった。道具なら効率よくどんどん利用しようということになり、科学革命以後の文明は人間の自然支配、自然の効果的な利用をどんどん進めて行った。
 デカルトの機械論的自然観は、自然を機械として見ることであり、「我思う」の対象になった世界は、質も生命も意識を欠いた、形と大きさ、運動だけを持った単なる「広がり」となった。
 この機械論的世界像が「科学革命」の思想的基礎になり、デカルトは『方法序説』において、「人間は自然の主人になる」と述べた。これは思想的には「革命」と言ってよいものである。
 「科学革命」のもう一つの思想的基礎は、ベイコンが打ち立てた「自然支配」という新たな概念で、「人間が自然を支配する」という理念が登場し、「実験」という支配の方法によって自然を解剖して切り開き、その正体を暴きだすことで、自然を支配利用していった。
 それまで自然は、人間のための単なる利用の対象ではなく、それ自身の独自の価値を持っていた。アリストテレスにしても、中世ヨーロッパでも、またイスラムでもそうであった。
 ベイコンによる「自然支配の理念」によって、自然が初めて「資源」になった。つまり、自然は人間に支配され、利用され、搾取される対象になり。自然の資源化を通じて「人間の王国」を作るとベイコンは言った。
 しかしその結果、利用され搾取され続けてきた自然がとうとう音をあげ、一種の反逆が起こった。それが環境破壊であり環境問題に他ならない。


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