妻と共に歩んできた人生に悔いはない⑵

 3月30日、妻が初めて口にした言葉は「明日、何時に来るん?」だった。よほど待ちわびていたのであろう。4月7日の結婚式・披露宴のお祝いは?と尋ねると、「10万円」とはっきり言った。判断力も確実に回復に向かっていた。「お金大丈夫?私が家に戻るまで平気?」と気遣いも口にした。
 意識が回復してきたので、私は「約束を破って、救急車を呼んでごめんね」と何度も謝った。そのつど妻はとんでもないという表情を見せて首を何度も強く横に振った。私はホッとした。妻が最も嫌がっていた病院で寝たきり状態の自分の姿に気づいて深く落ち込むのではないか、と心配していたからである。
 勿論そんな姿を発見してショックを受けないはずがない。私への深い気遣いをしてくれたのであろう。4月5日に主治医から説明があった。脳内出血は基本的には手術しないが、感覚の中継地点である視床を中心に5センチ程の出血があったので、救命のために手術したが、神経細胞の破壊は元には戻らないので後遺症が残るとのことであった。

 リハビリ病院に転院した時点での状態は、ブルンストローム・ステージ(上肢・手足・下肢の片麻痺の病状を6段階で評価し、回復過程を予測するためのスケール)は最も重い1段階で、歩行については、麻痺が重くても本人の認識と基礎体力と装具が伴えば、歩けるようになるとのことであった。勿論、機能回復の可能性は限定的で、手は3段階、足は4段階まで回復できるのではないかという見通しを示された。
 手の麻痺の段階は2段階の重さであるが、単純な動きを取り戻すことができれば、自分で食べられるようになるが、それはリハビリをやってみないと予測できないとのことであった。
 転院後の最大の変化は表情が豊かになってきたことで、本人の意識改善が進めば自立度が高まり、自宅マンションに手すり等必要な環境整備を行えば4か月後の7月下旬に退院できるだろうとの見通しを示されたが、意識改革のためには、私が寄り添って語りかけることが最重要と思われるので、歩行のリハビリやトイレの介助など私にできる最大の努力をするので、一刻も早く自宅に戻してほしい、と強く希望した。
 翌日の4月6日8時3分、勤務先である麗澤大学、モラロジー道徳教育財団に一連の報告をするために千代田線で向かっていた車中で携帯電話に緊急連絡があり、すぐに病院に駆けつけてほしいとのことで、西日暮里駅から新宿駅に向かい、タクシーで病院に到着したのは8時半であった。
 病室に急行すると、医師が妻の心臓マッサージを施していた。かなり強く押していたので、事態の深刻さを察知した。8時50分、医師が「心肺停止でお亡くなりになりました」と告げた。
 実は緊急電話で医師から「心肺停止」の状態であるが、緊急病院に運びますか、それとも現在の病室で心臓マッサージをしますか?と尋ねられた。「心肺停止」後、どれくらいの時間で回復する可能性があるかと尋ねたところ、「15分」とのことだったので、8時に病室で「心肺停止」が確認されて、緊急病院に運ぶ余裕はないと思われたので、医師も同意見であることを確認した上で、「病室でお願いします」と答えた。
 仮に緊急病院に運んだ場合、「救命」が優先されるために、「尊厳死」を損ねる治療が行われる危険性があることも脳裏をよぎったが、昨日の主治医からの説明によれば、5時に職員が病室で確認したところ異常はなかったが、8時に「心臓停止」が確認されたという。
 主治医によれば、「突然死」で、高血圧や循環器系などとは関係がないという。解剖をして調べますかと尋ねられたが、母が拒否反応を示し、「このままがいい」と答えたので、同意した。仮に原因が分かったとしても命は帰ってこないし、体を傷つけることは忍びなかったからである。

 3月2日に妻は突然倒れ、4月6日に「突然死」を遂げた。私と妻の実母にとっては、信じられない出来事が重なり「喪失感」は計り知れないものがある。特に一人娘を突然失った母の悲しみは伺い知ることができないほど深い。「どうして」を繰り返して泣き崩れる母にどう寄り添えばいいのか。
 「悲しみの奥に聖地がある」と信じているが、母にそのような心境になってもらうにはどう寄り添い支えて行けばいいのか。妻の死後、母は毎日夢の中に妻が出てきて励ますという。毎日明治神宮参拝を続けてきた95歳の信心深い老母の深い悲しみにいかに寄り添うかが目下の最大の課題である。髙橋塾生には大谷翔平のように「カモン!」と叫べるが、母とは一緒に号泣するしかなす術がない。ただ悲しみに寄り添うしかない。
 仲人をさせていただいた小田全宏氏が最愛の妻を失った私の心中を察して、何度か電話をかけてくれ、私たち夫婦と同様に子供がいなくて41年連れ添って、突然妻が余命3ヶ月の末期がんと宣告されて妻に寄り添って看病し、妻の死後、浴室で頸動脈を切って自殺した江藤淳氏のような心境になっていないか案じてくれているが、「大丈夫。江藤淳のような心境ではないから」と伝えた。
 さまざまな友人が気遣ってくれ温かいメッセージを送ってくれたことに心から感謝したい。葬儀に関する問い合わも多いが、一切辞退して親族だけでささやかな家族葬を行う予定である。
 
 私の実父も76歳で朝「突然死」状態で発見された。痛みもなく亡くなる「突然死」は見事な死に際だ。後に残された遺族の悲しみは深いが、私は妻の「突然死」を目の当たりにして、曽野綾子さんが私との対談で語っていた、死に際してクリスチャンが言う「ハレルヤ!」「おめでとう」の言葉に代えて「あっぱれ!」「今まで本当にありがとう」と言いたい。
 行徳哲雄先生は村上和雄氏が死去された折に、私は「御冥福を祈る」とは言わない、「死生一如」であり、永遠に生きておられるんだから失礼だろう、と仰った。常識離れしたご指摘であるが、私も同感である。
 勿論、48年間苦楽を共にしてきた妻を突然失った悲しみ、喪失感は計り知れず、一生背負っていくしかないが、妻の魂は確実にいつもそばにいて「私と共に生きている」。その意味で「死生一如」であり、生前よりも「こずえ!」と毎日呼びかけ続けている。
 私は残りの人生は重い障害を背負った妻に徹底的に寄り添い遂げる決意をして、髙橋塾を閉塾したが、この見事な妻の死に際は、もう一度子供たちを救い教育を立て直す本来の使命に戻れ、と私を後押ししているように思われ、死の翌日、第4期髙橋塾の開塾を決意し、髙橋塾の運営委員に伝えた。
 note拙稿で連載してきた妻の詩はまだまだ続く。第4期髙橋塾では妻の詩について研究し、詩集の2冊目の出版計画を準備する新たなグループも作りたい。行徳哲雄先生、光吉俊二先生、田中朋清石清水八幡宮権宮司に加え、新たに京都大学の谷本寛文教授に副塾長、塾頭役を引き受けていただき、妻の詩を受け継ぐ第4期髙橋塾の新たなスタートとしたい。
 6月29日の日本道徳教育学会の大会テーマである「ウェルビーイングと道徳教育」について「ラウンドテーブル」で、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所の「ウェルビーイング教育研究会」(代表は髙橋)で積み重ねてきた研究成果を基に共同研究発表をする予定である。
 東大大学院の鄭雄一・光吉俊二両教授やウェルビーイングカードを使った道徳授業実践等の理論と実践を繋ぐ「感知融合のウェルビーイング・道徳教育」について、髙橋塾の小学校教員3人の実践発表も含めて発表したい。年内に著書を2冊出版する予定である。noteに連載してきた3月2日から4月6日までの思いについても書きたいと思っている。
 
 
 


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