「他と共に生きる」井口潔生物学的教育論に学ぶ⑴

 日本教育研究所の研修合宿で講演していただいた小柳左門先生から、ヒト教育の会を創立された九大医学部教授であった井口潔先生の「生物学的教育論」に関する資料が送られてきたので、その一部を紹介したい。小柳先生は九大医学部助教授、国立病院機構都城病院長、社会医療法人原土井病院長、ヒト教育の会会長などを歴任されている。

ノーベル賞を受賞したカレル『人間一この未知なるもの』『人生の考察

 フランスの外科医、生物学者でノーベル生理学・医学賞を受賞したアレクシス・カレルは、『人間一この未知なるもの』(渡部昇一訳、三笠書房)において、次のように指摘している。

<われわれ一人一人は幻影の行列で作り上げられており、まだ知られていない真実がその間を闊歩しているのである。…実際、われわれは、本当に何も知らない。…われわれは、すべての科学のうちで、「人間の科学」こそが最も必要で、一番難しいということをはっきり認識する必要がある。>

 カレルは、『人生の考察』において、自然に対する唯一の美徳は「3つの法則」すなわち、「個体の保持」「種の繁殖」「精神の発達」に従うことであるとし、「物質から精神が出現したことこそ、進化の最も重要な面を表し、これこそ宇宙の歴史の中で最も意義深い出来事であろう。…進化の過程で、精神も向上する」と述ベている。
 また、「人生の質は、人生そのものよりも重要である。人間の体と心は宇宙の断片であり、我々は自然の一部なのだから、自然の法則に従うことは、自分にとって最高の利益になる」と指摘している。

●「知性と感性の調和」を考えなければ「人類は早晩死滅する

 さらに、次のように警告している点が注目される。

<現代人は精神を創造主が計画されているようには発達させようとしていない。測定できて再現性のある精神:知性のみを価値あるものとし、測定できず再現困難な精神:感性を価値なきものとしている。これを改めなければ、人類は早晩死滅するであろう。
 
 このカレルの指摘を踏まえて、井口潔先生は、「我々は巨大脳全体を無心で調和よく機能させること、すなわち、「知性と感性の調和」を真剣に考えなければならない。これこそが「人間生存の理法」であり、道徳はこの理法の智慧である」と述べている。

●岡潔「生命の科学」と井口潔「人間の五ケ条

 数学者の岡潔は、「東洋の宗教と西洋の科学とを融合して、生命の科学を作り、それによって新しい道徳、学問、芸術、宗教、教育、経済、政治を作り、それを実地に応用して理想的な国を造ろう」と訴えた。
 また、井口潔は人間の守るべき道を以下の「五ケ条」にまとめた。。

一、「人間」だけにあって「万物」にないもの、それは「自意識」
二、善悪・正邪は何で決めるか? それは「道徳」
三、道徳の根源は何か? 「自我の欲望」を抑えること
四、人間はいかに生きるべきか? 「自然の秩序」に従うこと
五、自然の秩序に従うとは、「超越的神格」の召命に応じて人格がその使命に励む

 具体的には、創造的超越的神格の「召命」に応じて、人格はその「使命観」に燃えて精励すること。創造主の「神格」は人間より遥かに有能であり、自我が皆無なので、「人格」は自分で考えるのではなくて「神格」の教えに従うことが必須であると考えるように努めるという趣旨である。

●「情緒の生まれる時」一岡潔対談集『人間の建設』より

 岡潔は対談集『人間の建設』において、「情緒の生まれる時」と題して次のように指摘している。

<赤ん坊がお母さんに抱かれて、そしてお母さんの顔を見て笑っている。このあたりが情緒の基になっているようですね。その頃はまだ自他の別というものはない。しかしながら、親子の情というものはすでにある。
そして時間というものがわかりそうになるのが、大体生後32か月すぎてからあとです。そうすると、赤ん坊にはまだ時間というものはない。だからそうして抱かれている有り様は、自他の別なく、時間というものがないから、これが本当ののどかというものだ。それを仏教で言いますと涅槃というものになるのですね。
そうすると、のどかというものは、これが平和の内容だと思いますが、自他の別なく、時間の観念がない状態でしょう。それは何かというと、情緒なのです。情緒が最初に育つのです。自他の別もないのに、親子の情というものがあり得る。それが情緒の理想なんです。私の世界観は、つまり最初に情緒ができるということです。>

二人の京大総長から学ぶ

 京大総長の山極寿一『ゴリラから生き方を学ぶ』(朝日文庫)によれば、「人間が家族と共同体という二重構造を持つことができたのは、共感能力が高かったおかげだと思います。相手の気持ちを理解する能力を手に入れたお陰ですね。…人間独自の信頼関係を作るために共感能力を増して、そして家族と共同体という二重構造をつくり、強い社会性をもった。そして、これまで人間が出ていけなかった地域へと進出し、さらに食糧生産を始めて連帯・団結を強めてきました。これこそ、人間が進化の過程で獲得した「人間らしさ」の一つの側面といえる」という。
 巨大な脳を持った人類は「家族と共同体」という共同生活を産み出した。ヒトは個に生きることはできない。共同体に生きることは人間の本能であり、老幼に平等に分配した初期人類の遺跡を見れば、思いやりの情は人間に特有な性情であり、その存続のために危機回避への祈りと協働、文字の誕生と言語による伝達、人々の交流が文明・文化の進展をもたらしもことがわかる。
 京大総長で臨教審会長を務めた岡本道雄は、「人間は、他と共に生きることを教育されて初めて人間になる」と指摘し、執行早舟は「恩こそ生命の根源」、大脳生理学者の時実利彦東大教授は、「人間の3大本能である食、性、集団の中で最も厳しいものは集団欲であり、大脳辺縁系がその座である」と指摘した。

●「利他の心」と「人とともに生きる

 安藤寿康『なぜヒトは学ぶのか:教育を生物学的に考える』(講談社現代新書)によれば、「利他の心」は人間の本能であり、「利他性、あるいは利他的行動は動物界、特に霊長類に広く行き渡った重要な生物学的特質である」と述べている。
 また、島崎敏樹『生きるとは何か』(岩波新書)は次のように述べている。

<生きるとは、前進向上よりももっと基礎的に、何よりもはじめに、まず「人とともに地上に生きる」ことである。なによりもまず、仲間と一緒に生きて「いる」という土台がずっしりと座っていなくてはならない。この前提が保証された上で、その上に立ち上がって自分から生活を築いていく前向きの視線と足取りがうまれるものなのだ。>

 東山魁夷『風景との対話』(新潮選書)には、次のように書かれている。

<私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。生かされているという宿命の中で、せいいっぱい生きたいと思っている。
 せいいっぱい生きるなどということは難しいことだが、生かされているという認識によって、いくらか救われる。>


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