「法の番人」に「法の賢慮」を求める

 平成25年10月31日、子育て支援センターの全国セミナーが宮崎で開催され、「子どもの育ちと家庭支援の課題」をテーマに特別講演をさせていただいた。少子化対策の問題点や従来の子育て支援策に欠けていた点について歯に衣を着せずに問題提起させていただいたが、講演後、厚生労働省の雇用均等・児童家庭局総務課の少子化対策企画室長が「大変感動しました」と感想を述べられた。従来の少子化対策を真正面から批判し、「親育ち」支援としての親学の重要性を訴えた内容を真正面から受けとめていただいたことが、その表情からよくわかった。
 最高裁は同年9月4日、結婚していない男女間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を、嫡出子の半分と定めた民法900条の規定が、「法の下の平等」を保障している憲法14条に違反しているという判断を下した。
 この最高裁の決定を踏まえ自民党は高市政調会長の直属機関として、「家族の絆を守る特命委員会」を設置、法務省内にもワーキングチームを設置して、配偶者が自宅不動産に引き続き居住することができるよう、配偶者の居住権を法律上保護するための措置や、配偶者の貢献に応じた遺産の分割を実現するために必要な措置などをはじめとする相続法制度のあり方について検討した。
 最高裁の決定理由は、国民意識の変化と諸外国の立法例に基づき、国際社会から改善の勧告を受けている、の二点であった。いずれの理由も納得できるものではい。
 まず国民意識の変化については、内閣府の世論調査によれば、嫡出子と非嫡出子の相続を等しくする民法の改正について、昭和54年では、賛成47.8%、反対15.6%、平成24年では、賛成25.8%、反対35.6%となっており、10%差で反対派の方が多い。
 次に、民法900条4号のただし書き中の「嫡出できない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし」というような規定をもつ国はなく、「国際連合の関連する委員会」がわが国のこうした規定に「懸念の表明、法改正勧告等を繰り返してきた」というが、果たして国連の振り回す平等主義や個人至上主義は普遍的な理由といえるであろうか。
 相続の問題に外国の事情や国連の圧力を持ち出すのは筋違いというべきであり、最高裁自身が判決冒頭部で、「相続制度を定める際は各国の伝統や社会事情、国民感情を考慮し、国民の意識を離れて定めることはできない」と言っていることとも矛盾する。
 2011年の出生数に対する婚外子の割合は、フランス56%、ノルウェー55%、イギリス47%、アメリカ41%、ドイツ34%、イタリア23%に対して、日本は2.2%となっている。このように婚外子の割合は欧米諸国と日本では大きく異なる現状を踏まえる必要がある。
 欧米では事実婚が増え、婚外子の割合が増えているから、日本でも欧米と同様に婚外子と嫡出子を平等に扱わなければならない、というのは、事情が全く異なるのに欧米の仕組みを持ち込もうとするもので問題があると言わざるをえない。
 民法900条4号のただし書きの立法趣旨については、平成7年7月5日の最高裁大法廷決定において、次のように明確に説明されていた。
 「本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重するとともに、他方、被相続人の子である非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に二分の一の法廷相続分を認めることにより、非嫡出子を保護しようとするものであり、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものと解される。これを言い換えれば、民法が法律婚主義を採用している以上、法廷相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優先してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法廷相続分を認めてその保護を図ったものである」
 最高裁は「父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のないことがらを理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立してきている」と結論づけているが、埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏の次の指摘が的を射ているように思われる。
 「これは親を同じくする嫡出子と非嫡出子の利害を調整した規定であって、自ら選択の余地のない事情によって不利益をこうむっているのは嫡出子も同様なのです。その一方だけの不利益を解消したら他方はどうなるか、そのことが全く忘れ去られています。またそれ以前に、そもそも人間を『個人』としてとらえたとき、(自らの労働によるのではない)親の財産を相続するのが果たして当然の権利といえるのでしょうか?その原理的矛盾にも気づいていない。ここには、国連のふり回す平等原理主義、『個人』至上主義の前に思考停止に陥った日本の司法の姿を見る思いがします。『法の番人』には本来の『法の賢慮』を発揮していただきたいものです」
 ところで、 榊原富士子・吉岡睦子・福島瑞穂の三氏の共著『結婚が変わる、家族が変わる―家族法・戸籍法大改正のすすめ』(日本評論社)には、次のように書かれている。
 「そもそも嫡出子と非嫡出子を厳格に区別するという発想の根底には、女性を家庭を守る妻たる女性と、遊びの対象としての女性とに二分化し、男性の『正当な血統』を男性中心の思想が流れているが、子を産む立場の女性からみれば、嫡出子非嫡出子の区別などおよそ無意味である」
 「どのような結婚をし、家族をつくるかということは、本来、個人のライフスタイルの問題であり、個人の自由意思にまかせるべきである。どんな家族形態を選んでも不利益をうけたり差別されたりせず、家族のありかたについての自己決定権が尊重されるためにも、嫡出子非嫡出子の差別、そして区別事態も早急に廃止したい」
 「(非嫡出子の法廷相続分の差別は)非嫡出子を産むまい、妊娠しても中絶してしまうしかないというように、親の生き方を左右するものであるということができる。・・・非嫡出子差別は、親のライフスタイルについての自己決定権や幸福追求権を侵害するものではないか」
 このように非嫡出子相続「差別」は、どのような形で子供を産もうが自由であるという親の「ライフスタイルについての自己決定権」を侵害するから撤廃すべきだと主張しているのである。
 福島氏は「『既婚』はもう恋の障害じゃない」(『婦人公論』1994年7月号)というエッセイで、「結婚をしていようがいまいが心はどうしようもなく動いていく。結婚した後だっていろんな出会いがあるし、素敵な人に会うことだってあるだろう。また、人を好きになるときに『未婚』と『既婚』を振り分けているわけではない。年上の人と恋愛すれば、その人に『家庭』がある確率は高くなるし、『いい男』には『決まった彼女』や『妻』がいることが多い」と述べている。
 この福島氏が担当大臣として作成したのが第三次男女共同参画基本計画であるから何をかいわんやである。こんな主張がまかり通れば、妻の立場や一夫一婦制は崩壊の一途をたどらざるをえない。

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