岡潔「日本の教育への提言」⑴
岡潔は京都大学数学科を卒業後、物理の湯川秀樹、数学の岡潔と言われ、日本の誇る世界的科学者の双璧の一人として60歳で文化勲章を受章。その後数学を捨て去り、世に心と時代の危機を訴え、人類の危機に警鐘乱打する講演を行った。
西洋の浅い心(自我)の世界観の限界を見極め、東洋の深い心を探るが、ついには日本独特の「情緒」の再発見に至り、「情緒の哲学」を樹立した。岡潔の講演録の文章化と整理が少数の弟子によって行われている。その弟子の一人から私に送られてきた「日本の教育への提言」と題する岡潔の貴重な珠玉の講演録のエッセンスを抜粋して紹介したい。
●心の中に自然がある、と明治以前の日本人は思っていた
日本は明治維新で西洋文明とともに、物質主義をも取り入れてしまった。
終戦後、それが一層強化されて、国の旗印に掲げられ、それによって憲法、法律を作り、それによって社会通念を作り、それによって教育原理を作り、それを守り続けて今日に至っている。
明治までの日本人はそうは思っていなかった。仏教がいうような「自然」の中に住んでいると思っていた。つまり、まず心がある。その中に自然があるという、そういう自然です。
仏教の論法では、人が自然があると思うのは、自然がわかるからである。自然がわかるというのは心の働きである。だから、自然は心の中にある、と説く。
数学上の発見の時に働く知力は無意識裏に働く「無差別智」である。仏道の修行をすると、この無差別智がよく働く。ごくまれに出る非常な高僧の経験を書き記したものによって「無差別智」のことがよくわかる。
無差別智はその働きによって四つに分けられ、これを「四智」という。立つという働きをよく見ますと、初めに立とうという気持がある。その発端となる情緒を形に表現したものが動作で、みな「妙観察智」の働きである。
物質的自然には、無差別智は働き得ない。これで物質主義は間違いであることがわかる。明治までの日本人は、仏教的自然中に住んでいると思っていた。現代人は物質的自然の中に住んでいると思っています。
●日本国憲法と戦後教育思想の問題点
何が大きく変わるかというと、自分とは何かというところが変わる。もっとはっきり言うなら、自分の肉体とその働きとが自分だと思っている。日本国憲法の前文は、暗々裏に、そんなことは分かり切ったことだというように言っており、千三百年もの間、仏教が言い続けてきたこととは正反対です。
こういうように肉体の働きが自分の心だ、と思うのが西洋の心理学で、それによって教育するなどというのはとんでもない間違いです。デューイの著書を11冊読みましたが、実に面白くない。全然無学で野獣の如き思想の持主です。戦後日本の教育は唯々諾々としてそのすべてを受け入れ、今日に及んでいる。
西独は断固として、ヤンキー魂をもってドイツ魂の置き換えることを拒否した。しかし、日本は実にこれ以上ないという腰抜けな態度でこれを受け入れた。だから、日本は今、滅びそうになっている。物心両面ともに…。
●江戸城無血開城と俳句の根底にある「情緒」
“真我が自分だ”ということに目覚めなければ、真の平和なんかありはしません。西郷隆盛と勝海舟とは、江戸城明け渡しの時、向かい合って座っていただけで、ほんの二言、三言言っただけで、心が通い合った。
この通い合う心が”情”である。欧米には”情”という言葉がありません。日本民族は情でつながっていますが、欧米は集団欲という本能でつがっている。
松尾芭蕉の一門の人たちは、よい俳句を詠むために生涯をかけている。生涯をかけて名句を詠もうとしている。芭蕉によれば、名句は一句か二句あれば名人だという。それは薄氷に体重を託すようなものだ、そんな気がして、芭蕉俳句集、芭蕉七部集、芭蕉連句集を調べてわかってきた。
どんなふうにわかったかというと、自然が人に伝わるのに二段階ある。最初は大脳側頭葉に伝わる。外界が伝わるのに最初は感覚としてわかるのです。その次に大脳前頭葉で受け止め、感情、意欲、創造の働きをする「情緒」になる。
●日本民族の心に目覚めよ
日本民族は心の民族で、その中核の人たちは、自分が心であるということをはじめから知っているらしい。日本民族は天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)から数えると三十万年にはなると思う。人類の歴史から見て、心が自分だと初めから気づいているというのは実に早い。
だから、日本民族は他の星から来たのだろうと思います。日本民族は心の民族で、心は合わされば一つになる。これが心の民族の特徴です。日本民族の一人であるということに目覚めるには、「真我」に目覚めさせる必要がある。そのためには、民族の詩であり歌である歴史を教えるということが、何にも増して大事なことだと思う。
日本民族の場合、真我に目覚めやすいということが長所ですから、早く真我に目覚めさすように教えなければいけない。日本民族は優れた民族であるだけでなく、人類をその滅亡から救うという重い使命を担わされている。私たちは何よりそれを自覚し、そうであることに誇りを持たなければならないのです。でなくては、教育はできないと思います。(1967年12月6日、大阪市・北陵中学校にて)