谷口正和『文化と芸術の経済学』⑵

 アートの語源であるラテン語の「アルス」という言葉は手による仕事や技術を意味する。今後は成長期に築かれたモデルではなく、成熟期のモデルを新たに考えなくてはならない。現代人の生き方は、自分の生涯の終焉にあまりにも焦点を合わせすぎる傾向がある。地域によって引き継がれ、哲学も含めて引き継がれるバトンタッチを人生の目標にする。
 最も長い時間を投資してきたものは何か。気付きと理解と学習を繰り返し、意識革命が起きるように学んできたのかが問われているのである。未知との遭遇は常に新たな文化を生む。
 新しい脳科学とリンクして、未来を確定して、高齢社会を喜ばしいものとしていけるような認識論が問われている。対立項目やバラバラだった領域をまとめていくことが求められている。「伝統」と「革新」や「右」と「左」
など、二極対立的に捉えられていた項目の両方を受け入れていくことによって新たなアイデアが生まれてくるのだ。

●「コンセプト・トレーニング」と「永遠の旅人」

 自らにとって受け入れがたい批判や意見を飲み込むことで、新たな「統合視点」という価値軸が自分の中で生まれていくだろう。常に社会と思考、自分自身をリンクさせて考える。思考を抽象化する「コンセプト・トレーニング」をしなければならない。日々の時間にとって最も重要なものは何かを思考していれば、自ずとそれは抽象化されてコンセプト・トレーニングとなる。
 来るべき混迷の中でどうすればいいのか分からなかったり、何をすればいいのか分からない時、そこで得られたコンセプトが行動指針となるだろう。それは他者に対して道を示すことにもつながり、一人ひとりが自らの存在証明を社会化することへの方法論を追求することが問われている。
 自らの人生を超えて、100年の構想を持つことが高齢社会を子供たちとリンクさせるのである。「パーマネント・トラベラー(永遠の旅人)」こそがこれからの生活者の理想の姿である。老いも若きも生涯学び続け、自分自身を鍛錬し続け、自らを高め、発表と評価を循環させていく。理想とロマンを持つ。自らの学習の成果と評価を社会に問いかける。そういう在り方が求められている。

●十代の若者の気づきを拡げる

 どのように生きるべきかを教えてくれる人はいたるところにいる。そういう資質を持った人達に声をかけてチームを編成し、個々の得意分野を駆使したチーム編成によって解決をもたらす効果は、全体個性が強調されることで話題が拡散し、世界中を駆け巡る。
 このチームで働くという新しい働き方は、一生をかけて得意分野に取り組めることで絶対時間も費やされる。まさに人生を賭して働くワーク・シフトの原動力となるだろう。
 テーマ領域を絞り込むことを親が背中で示すことができれば、それは指標を子供に提示し、体験学習としてのチャンスになる。その人の興味も好奇心もそうやって次世代に受け継ぐことができる。
 何かのテーマでもって突き抜けたいと思えば、得意技の一点突破力をもってするしかなく、この観点から子供を後押しする必要がある。生き方というものはそれを観て育つ人のためのサンプルである。また、何かを教えれば自らも学ぶ。
 人に教えることによって、自分の中にある暗黙知を整理し、自分が何を重視しているのかが把握できる。最も効果のある自己理解が「学ぶ=教える」ということである。スーパーティーンエイジャーが今までと違う社会の準備をしようとしている今(「常若産業甲子園」プロジェクトもその一つである)、ライフシンキング、生き方を考えるということから、真摯で熱心で逃げずにいれば、獲得したい未来が見えてくる。それは十代の若者に対してその気付きを拡げるということに他ならない。
 自立を支えるものは自身しかない。自分が立っていてこそ、弱者を支えることができる。自分が立つことで他者貢献ができ、それによってより強く立つことができる。この循環を活性化すれば、自分と他者を分けないサイクルが確立できる。
 多くの偉人に必ず共通しているのは、たった一つの単純なこと、すなわち自分の決めたテーマを継続し深化させたということ。注目すべきは、彼らが持っていたぶれない哲学であり、様々な形において、自分たちの背負った課題を続けたという点に学ぶ必要がある。
 
●「熱い心」と対抗概念を包み込む第3の波

 哲学を自らの中に深め、周囲に浸透させ、遂行しようという修行者の目線、宗教家の目線、あなたに熱意さえあればもうそれは備わっているのだから、思想と哲学を醸造し、自分の中で仮説とフィードバックを繰り返す自己学習の構造を持っていれば、常に自らを奮い立たせることができる。
 逆に、自らの視点を失えば、立脚点を失ってしまう。情報社会の中で、あなたがどのようなスタンスから発言するのかは、時にはあなた自身ですら見失ってしまうことがある。
 突き抜けるにらみがあれば、地道な感性的作業の中で、未来の磨き方を会得する。興味に一直線に生きていくことは、現実的には難しいのではないかと思われがちだが、固く考える必要はない。あなたが好きなことがすなわち興味であり、そこから生まれてくる表現が文化を表現するようになり、他者から見た独自性を形成するということだ。
 あなたが好きなことは何なのか。もう既に生きてきたキャリアの中に「好き」は顕在している。繰り返し自分自身に問うことがぶれない未来と繋がっている。我々は一人の人間として、一人ひとりの想いを持って道を歩く。前に道がなくても、自分の想いが未来へと突き抜けていくことを思えば、もうそこに道はできたも同じである。迷いながらも歩き続ける。常に今より一歩先というものを想定し、自分の中に湧き出る熱き心の源泉を持っておこう。
 本当に人生を掛けて成し遂げたいことは何かという熱き心を我々は忘れてはいけない。歴史の中で「こと」を立ち上げて成し遂げてきた人々の中にあった熱い心(小林秀雄は「胸中の温気」と表現した)、その溢れ出る思いが時代と創造性、芸術、デザインに繋げてきた。技術やお金がなければ何もできないと勘違いしがちだが、一番重要なのは熱き心を高めて自分の時間をかけて磨き上げることだ。
 個人の夢と志が次の時代を形作る。対抗概念を重ねれば、もう一つ上のステージが生まれる。新しい価値であるサードステージが常に最重要である。あらゆる第3の波を包み込むのが、我々自身の存在という強固な立脚点である。対抗概念を存在そのものに内包しているのが我々の文化であり、世界を移動して共感世界を拡げることができる。
 トマ・ピケティの『21世紀の資本』を皮切りに格差社会の問題が叫ばれ始めて久しいが、格差を固定的な観念によって把握してしまえば、格差間の対決と分裂と戦いを導く。新たなる鍵は文化と芸術にあり、高い流動性と学習変化力にある。


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