親子のつながりをつくる脳の神経回路

●「親性脳」が脳科学研究によって解明された  
 最近の脳科学研究によって、親性(parental caregiving network)は子供と共に育ち、女性は母になると脳に劇的な変化が生じ、妊娠期から産後にかけて、劇的なホルモンの変動が起き、その影響を受けて、妊娠・出産・養育という経験に十分に適応できるように、脳の機能や構造が再構成され、子育てに必要な親性が育っていくことが明らかになった。
 大阪医科大学の佐々木綾子教授らの実験によると、未婚の男女でも「養育脳」を育むことは可能であり、乳幼児とスキンシップ体験を定期的に繰り返すと、乳幼児の鳴き声に対する敏感性が高まり、「親になるための脳神経回路が発達」するという。全国に広がっている家庭教育支援条例に共通している「親になるための学び」の必要性が、脳科学研究によって明確に裏付けられたことは注目に値する。

●子育てに必要な神経回路を解明
 また、東京工業大学生命理工学院の黒田久美教授は、子育てに必要な神経回路の最も重要な部分は、脳の前脳底部、視床下部の前方にある「内側視素前野MPOA」の中央部cMPOAであることを解明し、親の脳には子育て行動に必要な神経回路の基礎が備わっており、父母双方の子育てに必須であることを明らかにした。
 黒田によれば、上手に子育てができるようになるためには、子育てをしてもらった経験、周りの人の子育てを見る経験、そして実際に子育てをする経験によって、この回路が洗練される必要がある。
 大人同士が親密な社会性を持つ動物は、ほぼ例外なく子育てすること、また大人同士の社会行動に子育てから派生した行動が多く用いられていることから、大人同士の社会性は子育てから進化したのではないかと考えられてきた。
 黒田らはcMPOAのCalcr細胞を活性化するAmylin細胞が、大人同士が孤独を感じ仲間と一緒にいようとする行動を引き起こすことを発見した。つまり、Amylin-Calcr細胞からなるcMPOAの神経回路が、子育てに起源をもつ親和的社会性を司っていることを明らかにしたのである。
 子供はただ子育てをされるだけの受け身的な存在ではない。親を覚え、積極的に近づき、泣いたり笑ったりして信号を送り、よい関係を築こうと努力している。このような子供の行動を「愛着行動」と呼ぶ。
 
●赤ちゃんを抱っこして歩くと泣き止む科学的根拠
 黒田らの共同研究グループ(カナダのトレント大学、麻布大学、国立精神・神経医療センター、埼玉県立小児医療センター、順天堂大学など)は、生後6カ月以内のヒトの赤ちゃんとその母親12組の協力を得て、母親に赤ちゃんを腕に抱いた状態で約30秒ごとに「座る・立って歩く」という動作を繰り返してもらった。
 その結果、母親が歩いている時は、座っている時に比べて赤ちゃんの泣く量が約10分の1に、自発的な動きが約5分の1に、心拍数が歩き始めて約3秒程度で顕著に低下することが判明し、赤ちゃんがリラックスすることを科学的に証明した。
 次に、母マウスが仔マウスを運ぶ動作をまねて、離乳前の仔マウスの首の後ろの皮膚をつまみ上げると、ヒトの場合と同様に泣き止み、リラックスして自発的な動きと心拍数が低下し、体を丸めた。
 さらに、体を丸めて運ばれやすい姿勢を取るには運動や姿勢の制御を司る小脳皮質が必要なこと、おとなしくなる反応には首の後ろの皮膚の感覚と、体が持ちあげられ運ばれているという「輸送反応」の感覚の両方が重要であることが分かった。
 母親が子を運ぶ時には、マウスでも人でも子が数秒程度で泣き止んで、おとなしくなり、リラックスすることが明らかになった。母親が仔を口にくわえて巣や安全な場所に運ぶ時には、仔は運ばれやすいように丸くなる姿勢を取る。こうした行動を「輸送反応」と呼ぶが、親子関係を維持するために、子供も愛着行動によって親に協力していると考えられる。
 なぜなら、もし運ばれている時に暴れて大きな声を出すと、危険が迫っている時でも母マウスが仔マウスを助けようとする行動を妨害してしまい、結果的に仔マウス自身の生存が危うくなるからである。
 これは、親子関係が一方的なものではなく、双方の協力によって成り立つ相互作用であることを科学的に立証するものである。この共同研究によって、親が赤ちゃんを抱っこやおんぶして歩くと、赤ちゃんが泣き止み眠りやすいことを私たちは経験的に知っていたが、抱いてなだめる育児方法とそれに対する子供の反応について科学的な根拠が明示された。
 子供が泣き止まないことは親にとって大きなストレスになり、虐待の原因にもなっていることから、子供がどういう刺激で泣き止んだり、泣き始めたりしやすいのかを科学的根拠に基づいて客観的に知ることができると、親の育児ストレスを軽減させることにもつながる。
 この「輸送反応」を利用して、親にとってストレスになる過剰な泣きを鎮め、寝かしつける方法、すなわち、赤ちゃんを体にぴったりつけて抱っこし、あまり止まらないようにしながら5分間連続で歩くと、かなり泣きが減り、半分近い赤ちゃんが眠ることがわかった。
 この方法を利用して、育児を助けるウェアラブルデバイス(ウェアラブル端末と連携アプリ)を開発し、過剰な泣きに起因する産後うつや児童虐待の防止に役立て、「心拍計をつけ抱っこして歩いてみましょう」「眠りが安定したら置いてみましょう」などと語りかけて、赤ちゃんの心拍数を計算し、乳児の睡眠一覚醒状態に合わせた育児行動のアドバイスに役立てている。

●仔マウスへの攻撃性を抑制する脳部位
 また、マウス実験によって、雄マウスでは「分界条床核菱形部(ぶんかいじょうしょうかくりょうけいぶ)BSTrh」という広義の扁桃体に属する脳部位が赤ちゃんマウスに対する攻撃性に関係することも判明した。
 ハーレムのように、1匹の雄のリーダーを頂点にした群れを構成する一夫多妻制の動物種で、リーダーが新しい雄に倒されて群れが乗っ取られると、前のリーダーの血を受け継ぐ子供を新しいリーダーが皆殺しにし、それをきっかけに群れの雌が発情して交尾を始めるという。
 ショッキングではあるが、雄が自らの遺伝子を効率よく複製するための、生物学的には適応的な行動で、交尾の結果、新しいリーダー自身の子供が生まれてくる頃になると、雄は子殺しをせず、むしろ子供を守り育てるという「父性の目覚め」が起こるという。
 興味深いことに、交尾した雌と同居する経験を経た雄マウスは、自分の子供だけでなく、よその子供でも殺さずに子育てをする。雄のマウスには、自分が交尾して生まれた子と他人の子を確実に見分けることはできないので、安全のためにすべての子を同じように扱うのだと推察される。
 cMPOAとBSTrhの活性化が仔マウスへの攻撃や養育に必要かどうかを確かめるための実験を行ったところ、BSTrhの働きが仔マウスへの攻撃を促進することが判明し、cMPOAがBSTrhを抑制していることが分かった。
 長谷川眞理子は、行動生態学の視点から、親による子の世話の至近要因、究極要因、発達要因、系統進化について、『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(守衛社新書)に詳述しているが、紙面が尽きたので、次回に解説したい。


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