「人の資本主義」と経済と道徳の再融合

 立命館大学稲盛経営哲学研究センター「人の資本主義」研究プロジェクトの共同研究の成果が東大出版会から、中島隆博編『人の資本主義』として出版された。「人の資本主義」とは一体何か。中島隆博同研究センター副センター長・東大東洋文化研究所教授・同大東アジア藝文書院院長は同書の「はじめに」において、次のように説明している。

●「人の資本主義」とは何か

<わたしたちが考えているのは、Human Co-becomingということです。とりわけ西洋哲学の文脈では、人間はHuman Beingとして、存在の側から、つまりは存在としての神の側から見られてきました。それに対して、近年、東洋哲学を研究する人々から、Human-becomingという考えが出されてきています。これは「仁」という古い概念の読み直しでもあり、人間は人間的になっていくものだ、という意味です。わたしたちはそれにcoすなわち「一緒に」という言葉を付け加えて、Human Co-becomingと言ってみたいと思っています。つまり、人間はひとりで人間的になることはできず、他者とともにあることではじめて人間的になるということです。
 これが、西洋哲学の根本概念である存在論への挑戦であることは容易にわかるかと思います。存在に代えて変容を、しかも共に変容することを、人間の再定義として考えてみたいのです。ひとり人間が根底的に変容することに、人間のチャンスがあると思います。そしてそれが、人間の価値ではないのでしょうか。このように変容する人間に価値を置くことに、もし新たな資本主義が貢献できるとすれば、それは望ましいように思います。そして、それを人の資本主義と呼んでみたいのです。…
 資本主義はどこに向かえばよいのでしょうか.。わたしは、それが「人の資本主義」だと考えています。その場合の「人」は、生産者、消費者、労働者、個性ある個人、といった近代的な概念には収まりません。それは遥か昔の「仁」や、今日的なHuman Co-beingが同時に告げている「人」なのです。そうした「人」が花咲くことを価値とすること。もし資本主義がそちらに向かうことができるのであれば、世界の風景は大きく変わるだろうと思います。
 人の資本主義、この新しい複合語が開くものは、ある慎ましい生の様式です。それは人間がともに人間的になっていく望みのもとに生きるものです。そうすることで、もしかすると人間は動物や植物の高貴さに少しは近づくことができるかもしれません。> 

●経済と道徳の分離と再融合
 京都大学こころの未来研究センターの廣井良典教授によれば、拡大・成長期の発想で企業の在り方やものを考えていくことに、根本的な矛盾が生じており、パイが拡大しない定常期の時代の倫理は「三方よし」や二宮尊徳の経済と道徳の一致であったが、拡大・成長期に移行し、渋沢栄一の『論語と算盤』や社会事業を積極的に行う事業家などが多く生まれた。しかし、高度経済成長期になってくると徐々に変化し、収益性と倫理性が半ば予定調和的に結びついたような牧歌的な時代になったという。
 ところが、1980年代頃から大きく変容し、モノがあふれて消費が飽和していくと同時に、経済と道徳は分離していった。そうした帰結として、やがて格差の拡大や資源の有限性が顕在化してきた。
 近年は、分離していた経済と道徳が再融合する兆しが見えてきた。これは拡大・成長から成熟・定常期への移行と関連がある、と廣井教授は指摘する。若い世代がソーシャルビジネスや社会的起業に取り組むとか、そうしたものに関心を持つ学生が明らかに増えている。これがかつての古い時代の経営者の理念と共鳴する内容であったりもする。そこで廣井教授は、「拡大・成長ではなく、持続可能性・循環・相互扶助に軸足を置いた、新しい性格をもった経営や経済が重要になってくる」と結論づけている。
 私は旧自治省の青少年健全育成調査研究委員会座長として、青少年健全育成の基本的考え方を「大人が変われが子供は変わる」というスローガンの下に大人の「主体変容」への転換の必要性を訴え、「親学」を通して「親が変われば子は変わる」、全国4会場(東京・埼玉・大阪。福岡)の師範塾を通して「教師が変われは子は変わる」と訴えてきたが、(共に)変容する人間に価値を置き、人間を再定義した「人の資本主義」という新しいコンセプトが提案されたことは感慨無量である。
 


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