「慰安婦問題」最終結論の要約⑵

9 業者一慰安婦間の契約条件
 慰安婦の前借金は人身売買の代金ではなく、年季労働契約の先払い報酬だった。慰安婦は慰安所で仕事(性的慰安行為)をして前借金を返した。初期の慰安所では2年の期限さえ満たせば済む契約もあったが、売り上げを業者と慰安婦とで分け、慰安婦が自身の取り分の中から前借金を返してゆく方式が一般的だった。前借金を返済した後の業者と慰安婦間の分配率は、初めは5対5が多かったが、後に4対6と慰安婦に有利なものに変わっていった。
 韓国の多くの元慰安婦たちが報酬を貰えなかったと証言しているが、これは主に日本政府の責任を追及するために報酬を貰った事実を隠したからであり、その他の理由としては、慰安婦になった初期においては前借金を返すのが先で、売り上げの10%そこそこの報酬しか貰えなかったためである。
10 慰安所の営業と慰安婦の仕事、所得
 日本軍の支援と監督の下、慰安所は適正需要が保証されたおかげで高収益を上げることができたが、それには慰安婦酷使と呼ばれるほどの高い労働強度が伴った。その代わり慰安婦は前借金を短期間で返し、貯蓄し、故郷の家族に送金することができた。しかし、慰安婦が日本の敗戦時までに引き出さなかった貯金や貯めていた軍票は、紙くずになってしまった。
11 慰安婦は「性奴隷」だったのか
 韓国の多くの元慰安婦たちが、軍人や業者から虐待され暴行されたと証言した。酒に酔った軍人などが規則を破り慰安婦を威嚇したり暴行したりすることはよくあったが、日本軍はそのような行為を取り締まり、違反者を処罰した。慰安所は戦線を移動する日本軍と一緒に移動・流浪したが、前借金を返し契約期間を終えた慰安婦は故郷に帰ることができた。先払い報酬としての前借金、売り上げの分配、契約期間、帰還などから、慰安婦は「性奴隷」ではなく「年季契約労働者」だった。
12 日本軍が敗走する戦場における慰安婦
 前借金を返済し契約期間が過ぎても、日本軍が帰国の交通手段を用意してくれないなどの諸事情で、日本の降伏時まで帰還できなかった慰安婦も多かった。また、あまりにも遅れて慰安婦になった人たちもいた。彼女たちは日本軍が敗走する戦場で日本軍とともに、あるいは日本軍と別れて後退し、負傷や病気、飢餓に苦しみ、時には命を落とした。
 連合軍の捕虜になった女性たちは、それでも運の良いほうだった。日本軍の敗走時に何の対策もなかったことが、日本軍慰安所制の最も大きな問題である。日本軍が敗走する戦場において慰安婦の安全に直接的な責任があるのは、慰安所業者と管理人だった。ここまでに出た事例では、日本人業者にはその責任を果たしたケースがあるが、朝鮮人業者や管理人にはそうではなかったケースがある。
13 「慰安婦虐殺」という嘘
 今日、大多数の韓国人は日本軍が最後に慰安婦を虐殺したという話を信じているが、これはそもそも小説から始まったものである。韓国の慰安婦運動グループの研究者の一部がその証拠映像を発見したと主張しているが、これは映像をデタラメに解釈したもので、日本軍が慰安婦を虐殺したという証拠はない。
 なお、私自身も渡米し米国立公文書館所蔵の映像を調査し、拙稿「『朝鮮人慰安婦虐殺』映像についての考察⑴⑵」として、『歴史認識問題研究』第3・4号に連載したので参照してほしい。

<エピローグ 最終結論「もう日韓間に日本軍慰安婦問題はない」>
1 日本軍慰安所は、戦場での日本軍による占領地住民への強姦を防止し、性病への感染を予防し、兵士の士気を高めるために設置された。日本軍慰安所が本格的に設置されたのは日中戦争の開始後だった。中国の戦場にいた日本軍は、直接あるいは日本、台湾の行政組織や軍司令部などに依頼し、慰安所業者を選定した。
 この業者たちが女性を募集して慰安所に連れて行った。日本、朝鮮、台湾にはすでに貧困層の女性や芸妓や酌婦や娼妓にする市場ネットワークがあり、業者はそれを利用した。日中戦争期に台湾総督府と台湾軍司令部が慰安所業者を選定したのとは異なり、朝鮮総督府と朝鮮軍司令部は慰安所業者を選定しなかった。
 また戦場の日本軍は、中国などの現地に元からあった売春施設のうちの一部を慰安所に指定した。この点で日本軍慰安所制は、戦場に延長・再編された日本の「公娼制」だった。
2 慰安所はそもそも中国、東南アジア、南洋などの戦場に設置されるものだった。戦場の慰安所をまね、満州国のソ連国境地帯や日本の小笠原諸島などの戦闘が行われる可能性のある奥地にも慰安所が設置された。
 日本軍は、沖縄のような最後の玉砕戦が引き起こされそうなところにまで新たに慰安所を設置した。その反面、それ以外の日本本土や満州国、朝鮮、台湾には軍が設置したり指定して管理・監督する慰安所はなく、軍人が民間の接客業施設を利用した。


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