内山節「個人と帰属一戦後史への一視点」

 11月24日付note拙稿で取り上げた立教大学の内山節教授が、個の確立は帰属先との関係によって成立することを明らかにした論考(「個人と帰属一戦後史への一視点」佐伯啓思監修『ひらく』第7号所収)の要点を紹介したい。

●日本の伝統的な縦軸の個の形成一「極める」

 内山によれば、日本的な個の形成には特殊性がある。欧米における個の形成は一人一人の違いの提起、それぞれの個性の提出と言ってよいが、日本の伝統的な個の形成はそれとは異なる。自分を形成することが「極める」という方向に向かう。
 文芸評論家の伊藤整が書いた『近代日本人の発想の諸形式』は、欧米の文学の影響を受けた作家たちの中から、なぜ私小説作家が現れてくるのかについて考察しているが、その考察を通して、内山は日本における個の形成が自己を「極める」掘り下げとして行われたことを学んだという。
 例えば職人を例にとると、職人が自己をつくりだすとは、自分の技をどこまでも掘り下げていくことである。それは自分と向き合い、今の自分と対決するという形で行われるのであり、他者はどうでもよくなっている。
 農民は農を究めることの中に自己形成があり、商人は商人道、武士は武士道を追求するようになった。他者との違いを際立たせることによって、それを個性や個の確立だとする欧米の発想とは違って、日本人の発想は、個を確立しようとすればするほど自分の内的世界を堀り下げていく方向に向かう。
 そのためには、自分の役割や自分の目指すものが分かっていなければならない。職人の技を深める、農の技を究める、商人道、武士道を追求するというように、である。
 一体自分が目指すものや役割はどのようにして形成されたのか。それは自分が属する世界があるからである。職人の世界、農の世界、商人の世界に属しているからこそ、「極める」とは何かが感じ取れるのである。

●個の形成と帰属先

 明治以降の日本の近代化は、このような日本の伝統的な縦軸の個の形成を弱体化していったのである。国家という新たな帰属先が生まれ、国家を民族の共同体とみなし、その中での自己を確立することが個の形成に変容し、伝統的な共同体と自己形成の関係が従属的な要素に変化した。それが極限にまで強まったのが戦前期の昭和という時代であった。
 しかし、敗戦は国家という帰属先を崩壊させた。いわば真空状態のような社会が現れ、人々は危機下における自己やその家族だけを見つめなければならなかった。伝統的な共同体も国家共同体も崩壊した。
 戦後の経済成長によって企業が拡大し続け、安定した雇用の時代が出現した。多くの人々が企業に自分の帰属先を見出すようになった。企業の中で実績を上げる会社員になることに、自己を形成する道筋を見出すようになった。こうしてモーレツサラリーマンの時代となり、企業への強い忠誠心をもち、業績を上げることが生きがいになった。

●帰属先の崩壊と再創造

 バブル崩壊以降の日本では、日本的慣行として定着していた終身雇用制や年功型賃金は壊れ始めた。同時に非正規雇用労働者が増加し、新自由主義、市場原理主義的経済が世界を覆う中で、利益の最大化だけを目指す企業が増大し、企業の中から生まれる創造性も弱まり、リストラ以外に利益確保の道がない企業を増やしてしまった。
 高度成長期の日本は、企業を基盤にして個を形成することができたが、21世紀に入ると、企業という時空と個の形成が対立するようになり、企業から離脱することによって個を確立しようとし始めた。
 企業を基盤にして個を形成してきた構造が崩れ、人々は個の確立を実現する新しい道筋を見出さなければならなくなった。それは個人として孤立することではなく、自分たちを包むものの再発見であり、再創造であった。
 人々は新しい関係づくりへと向かい、自然との関係を作り直し、人々の関係や継承されてきた技との関係、地域との関係、社会との関係の中での自分の生き方、働き方の中に個の確立を見出す動きが広がり始めている。人間は帰属先を持つことによって自己を確立する。私たちに見えているのは、個の確立が帰属先との関係によって成立するという事実だけなのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?