安倍元首相との「教育再生と救国の道筋」対談
安倍元首相は平成22年6月18日に収録した私との対談「安倍晋三氏に問う!教育再生と救国の道筋」(月刊誌『MOKU』「髙橋史朗の真剣勝負対談第8回」同年8月号)において、次のように述べている。
髙橋 私は安倍内閣時代に、少子化対策の重点戦略検討会議の委員を務めさせていただきました。その時に驚いたのは、中間報告をまとめた事務局案の中で、「親学」の根幹である「親も責任を持ち」とか「親も子供もともに育つ」という文言が削除されていたんです。どうして親の責任を問わないのかと抗議をして、結局は元に戻ったのですが、事務局側には、育児や介護は親ではなく社会が担うものという意識を感じました。特に現政権では、その体質が強まったように見受けられます。
安倍 子育ては、基本的には親の仕事です。その上で、国や社会ができる限りの支援をしていくということであって、その逆ではありません。ところが、民主党政権が実施した「子ども手当」は、子育ての社会化を目指す政策なのです。子育ての社会化は、「個人の家族からの解放」というイデオロギーを背景とした考え方ですね。かつてポル・ポトが実行し、非常にすさんだ社会が生まれました。あのスターリンでさえ途中でやめたわけで、完全に間違っています。
髙橋 ええ。私が取り組んできた「親学」は、少子化や核家族化、女性の社会進出等によって、子育てや親子関係を取り巻く環境が大きく変化する中で、「親は何をすべきか」を伝えようとするものです。少子化を食い止めるには、保育サービスといった外発的な動機付け以前に、子供を育てる喜び、親として成長する喜びを伝えることが必要ではないでしょうか。
安倍 おっしゃる通りです。確かに子育てはお金もかかり、何かを犠牲にしなければならないかもしれない。しかしそうした苦労をいとわない、損得勘定を超えた価値があるのではないでしょうか。今までの少子化対策は、「子育てには不利が生じるから、国が代償としてお金を出しますよ」という補償の側面が強かったんです。これでは誰も子供を産みたいとは思いません。私たちは、子育ての素晴らしさや家族の価値をもっと伝えていく必要がある。と同時に、仕事と家庭を両立する仕組みや、地域における支援体制の整備が急務だと思い、首相時代には、髙橋先生にもご協力いただきましたし、高市早苗さんや山谷えり子さんたちに、少子化対策プロジェクトを進めてもらったのです。
●男女共同参画会議をめぐる攻防
松下政経塾5期生であった高市早苗議員から電話で大臣室に呼び出され、安倍元首相と担当大臣である高市議員が男女共同参画会議の有識者議員に私を推薦しているが、有識者議員たちの反対が強いので、少子化対策重点戦略会議の委員になってほしいと言われた時には心底驚いた。首相と担当大臣が推薦しても通らない男女共同参画会議人事の異常さに驚愕せざるを得なかった。防衛予算に匹敵する男女共同参画行政をリードする男女共同参画会議がいかに異常な伏魔殿であるかを如実に物語っている。
第二次安倍政権下でも、同様の事態が生じたが、菅官房長官が拙著を読んでいただいていたおかげで、私は男女共同参画そのものに反対しているのではなく、真の男女共同参画とは何か、という問題提起をしているのだと弁護していただいたおかげで、4期8年の長きにわたって有識者議員を務めることになった次第である。
私自身は安倍元首相が座長を務めた「過激な性教育・ジェンダ―フリー教育実態調査プロジェクト」には全く関与しなかったが、同プロジェクトと男女共同参画について、同対談で安倍元首相は次のように述べている。
安倍 男女の性別による差別は決して許されるものではありません。しかし、ジェンダーフリーという概念は、生物的性差や文化的背景をすべて否定し、女として生まれても男として育てれば男になるという誤った考え方に基づいています。ひな祭りや端午の節句も、女らしさや男らしさを押し付けるものだと教えていました。ジェンダーフリーの特徴は、過激な性教育です。ここにもやはり、「個人の家族からの解放」という目的が隠されている。というのも、男女の関係は性でしか結ばれないという訳です。家族の絆、夫婦の絆などは一切認めない。私はジェンダー・フリー教育の元になっている、男女共同参画基本計画については、約170箇所を修正し、正常化に努めました。
髙橋 年末には第3次男女共同参画基本計画が改定されます。民主党政権は、内容を元に戻そうとしているようですが。
安倍 そうなんです。このことは、家庭崩壊、日本文化の危機に繋がることですから、何とか阻止しなければなりません。
●安倍元首相の志の原点は吉田松陰『留魂録』
安倍元首相が力を尽くした教育基本法並びに教育三法の改正論議は、岸内閣の日米安保改定、佐藤内閣の沖縄返還、細川内閣の小選挙区制導入、小泉内閣の郵政民営化と並ぶ「戦後五大長時間審議」の一つとして高く評価できるが、教育改革を志す原点は一体何か。この点に関して、安倍元首相は対談で次のように述べている。
安倍 私が取り組んできたことは、戦後の枠組み自体を根本的に見直しながら、21世紀にふさわしい日本をつくるための挑戦でした。私は「戦後レジームからの脱却」なしには、日本の未来はないと確信しています。中でも、国家の基本である憲法が、GHQに押し付けられた内容であるのは明らかにおかしい。時代にそぐわない箇所もありますし、私たちの手で作り上げていくんだという精神こそが、新しい時代を切り拓いていくと考えています。
髙橋 しかし、民主党政権以降、特に「戦後レジームからの脱却」への道は停滞、もしくは後退してしまったのでは?
安倍 そうですね。民主党政権自体が戦後レジームそのものですから。逆に言えば、私たちの問題意識が明確になりました。松陰先生の言葉の中に、「世の中で大いに憂うべきことは、国家が大いに憂慮すべき状態にある理由を知らないことである。もしその憂慮すべき事態になる理由がわかれば、どうしてその対応策を立てないでよかろうか。立てるべきである」という意味の言葉があります。今はまさにその時です。
安倍元首相の遺志についてはモラロジー道徳教育財団「道徳サロン」拙稿連載77で詳述したが、菅元総理が自らの内閣を、高杉晋作が組織した義勇軍「奇兵隊」になぞらえて「奇兵隊内閣」と命名したことに対して、安倍元首相は「非常に違和感を感じている」とコメントし、「晋三」という名前は、高杉晋作の「晋」に由来しているが、山口県出身の人のあこがれの対象は高杉晋作だが、尊敬の対象は吉田松陰であることを強調し、以下のように述懐された。
髙橋 お父様の葬儀の時に、吉田松陰の『留魂録』の「死を決するの安心は四時の順環に於いて得る所あり」を、葬送の言葉として引用していらっしゃいました。
安倍 ええ。松陰先生は、刑死を前にして『留魂録』を書かれました。中でも「四時の順環」は、松陰先生の人生哲学の結晶だと受け止めています。「四時」は四季のことで、「四時の順環」というのは、人間の人生にもそれぞれの人に相応しい春夏秋冬がある。たとえ十歳で死んだとしても、その人生には、百歳まで生きた人と同じように自ずから四季が備わっているといったことを意味しているのだと思います。そして、松陰先生は、四季の中で付けた実が籾殻だったかどうかは、私の志を受け継ぐ人がいるかどうかにかかっていると。私も、父が何を残したのかは、一番近くにいた自分が志を受け継いでいけるかどうかにかかっていると思ったのです。
髙橋 なるほど。人生は長く生きることに価値があるのではなく、今を充実して生き、志を継承していくことが大切なんですね。安倍晋太郎氏の死を、世間は「首相直前の志半ばで惜しい」というかもしれませんが、その志が受け継がれれば、幸せな人生だったといえるのではないでしょうか。
この対談を踏まえて、1月21日の靖国神社崇敬奉賛会主催の安倍昭恵夫人講演及び山谷えり子参議院議員との対談のコーディネーターを務めたいと思っている。