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人生の最後に何を残すか

昨年春、2023年3月28日。
坂本龍一氏の死去を知ったのはSNS上でのことであった。SNSでの話題だったこともあり、にわかには信じがたかった。というのか、信じたくなかった。しかし、それはどうやら本当のことらしかった。

以後、追悼番組などがテレビ等でも放映されたが、録画するだけ録画して、けれども、私は一切、それらを観ることをしなかった。坂本龍一氏が亡くなった現実を受け容れられなかったからだ。追悼番組を観るということは、坂本氏が、もうこの世にはいないということを認めざるを得ない気がしたからだ。

「私は坂本龍一氏の死去を信じない」というスタンスではいたが、それでも精神的には喪失状態になり疲弊してしまった。覇気を失う・何もやる気が起きない。坂本氏のファンであったことで、いっときはノイローゼに近い有様になったくらいであった。

あれから一年半近くが経過した。なにげなく某映画館のホームページを目にした。坂本龍一氏のピアノ・ソロコンサート映像の上映スケジュールが掲載されていた。『Ryuichi Sakamoto/OPUS』と銘打たれたこの作品について知らなかったわけではない。が、やはり、録画した幾つもの追悼番組と同様に「これを観てしまったら坂本氏の死を認めたことになる」と思ったので、無視してきた作品だった。

主要映画館ではもうほとんどのところでは上映終了している。ところが、たまたま目にした映画館のホームページによれば終了まで残すところ三日間でまだ上映していたのだった。

パートナーであるKさんが「なにか良さそうな映画、やってるかぁ」と私に訊いてきたので、坂本龍一氏のピアノ・ソロコンサート映画を上映している旨を答えた。

「行こうよ」とKさんは言う。全然に坂本龍一氏のピアノなど関心さえ持たなかったKさんが「行こう、観て来よう」と言う。上映日数が終了間近なので、急遽、ふたりで行くことになった。

前置きばかり長くなってしまったが、
このコンサート作品『Ryuichi Sakamoto/OPUS』に行って観て来たことは、結果的には、私にとって大きな「こころの財産」となったと思う。

坂本龍一氏死去の約半年前に彼の持つ最後の力を振り絞ってのピアノ演奏は、たましいを揺さぶるものがあった。何にたましいを揺さぶられたのか。

それは言うまでもなく、死に直面しながら、死期を感じながらも「音楽」というものにこだわり続け演奏していたその姿であった。涙がとまらなかった。死の間際でもこれだけの演奏をするのか!と驚愕せざるを得なかった。同時に「人は人生の最期に何を遺すのか」ということを問われた。

坂本龍一氏のようには偉人ではないにしても、人生で何を築き上げ残すのかということは、闘病中の私の心に大きな問いとなったのだ。

私には残したいものがある。
未完成どころか、まだなんの形にもなっていないが、私なりの「遺すもの・残すもの」のために励もうと思った。

追記するならば、坂本龍一氏が永眠して一年半ほどが経って、ようやく、私なりに彼の死去を受け容れた。

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