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あなたは本音で喋らない


 男の子が母親に憎まれ口をきいたり、女の子がなかなかぐずって納得しなかったりするという良くある光景の根底は、その子が、もっと自分に関わって欲しいと言うことなのである。この事は、当事者つまりその親子であるとなかなか見えてこないが、事例を持って説明されると良く分かるものだ。
私が今言いたいのは、言葉は、人のその時の感情をダイレクトに表現しないという事なのだ。もっと言えば、言葉は本音を語らないのだ。
だから、本来であれば単に「もっと構って欲しい」と言う本音の根底の想いを言えば良いのだが、それに気付けない為に思いつかず言えないのだ。
実はこれは、大人であっても同様なのである。その理由は子どもと全く同じで、自分の本音の想いや感情を、当の本人が理解できていないのだ。
ただし大人の場合は、更に輪をかけて複雑な為に、自分の根底の想いが、相当に厚いベールに隠されていると言っても過言でない。大人ともなると、社交辞令は勿論、モラルとか世間体とか、果ては駆け引きなども会話に織り込んでしまうので、その結果、自分の本音が自分で見えなくなってしまうのだ。
大人のこの様な本音とかけ離れた「喋る」という行為は、本当にひどいもので、「お金が欲しい」「引っ越したい」など、上辺の望みを自分の本当の思いだと信じて疑わない。実際には、その根底の思いは「安心したい」「優しくされたい」というだけであり、その自分の本当の想いを全く理解できないのである。
そもそも、なぜ上辺の希望を望むかと言うと、それは、常に本人に不安が付きまとっているからなのだ。事実、世の中の殆どの場合、人は不安を思考の中に持っている。ある説では、動物が生き残るために身に付けた本能的なものだとも言われている。
この不安な気持ちを埋める為に、人々は何かをしようと思うのである。しかし、その行動で埋めたとしても、また不安は生まれ、結果無限の不安と行動のループを行う事となるのである。何故ならそれは、上辺の望みであり、本当の希望ではないのだから、その行動で埋まる訳がないのだ。
では絶対に言葉が本音を語らず、また行動で埋められないかと言うと、そうではなく、ある条件を満たした時に、状況は一変すると言うことに私は至った。


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