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臆病者の目には、敵は常に大軍に見える(織田信長)

臆病者の目には、敵は常に大軍に見える(織田信長)

 誤解を恐れずに言うならば、偏差値の高い子は塾に行ってマニュアル化してうまく答えられるようになり、偏差値の低い子は、軍隊方式で従うようなマニュアル化していきます。というのも、偏差値の低い子ほど厳しく統制しようとするからです。
 結局、本質は同じで、どの層になっても、先生の言うことを聞くように育てている。 これは「格差を容認しやすくなる社会環境」を教育界自身が作っているような気がします。ノーと言わない、批判しない、疑わない。まさに日本っぽいですね。コントロールされて、受け入れる――。
 今のような世の中も受け入れて、反する人がいない。健全な批判ができない社会や教育界のままではいけない。(小林美希)

 私はアメリカの中学教師をしていた時、生徒に日本の学校のようすを撮ったピンナップ写真を見せたことがあります。すると、多くの生徒は
「日本では、子どもの軍隊があるのですか?」
 と、尋ねてきた。それで、私は
「なんで、そう思うの?」
 と、質問したら
「みんな同じ服を着て、同じ髪型で、同じ物を持ってるし・・・」
 と、言うのです。

 日本人は自覚がない人が多いけれど、全員が同じ服や髪型をして朝から晩まで同じ教室に閉じ込めるのは「教育」と呼べる代物ではありません。クラブ活動も、そもそも軍事教練から生まれたと聞きました。これでは、イジメが起こって当たり前。逃げ場がないもの。
 
 みんな自由な服装を着て、自由な髪型をして、持ち物も自由にしてほしいはず。部活は好きな人だけやればいいし、教室は解体して日本の大学のように教科ごとに教室を移動すればいい。大多数の人は、そう考えているはず。こんな管理教育が管理社会を生み、そんな社会からはGAFAのような会社が生まれるはずもない。こんな社会や学校でいいはずがない。

 しかし、みんな黙ってガマンしている。なぜか。それは、敵が強大に見えるから。教師、教育委員会、文科省という敵が巨大に見えるから。権力も金も持っているから、逆らえない。

 私たちは臆病なのです。逆らって戦うより「寄らば大樹の陰」というのが日本の伝統。「長い物には巻かれろ」が賢いとされ、「皆で沈没すれば怖くない」というワケです。同調圧力に逆らるのは、日本社会では異端児扱いで居心地が悪い。

 そして、とうとう周囲の国々(ロシア、中国、北朝鮮)が核武装して実際に戦争を始めていても日本は“遺憾砲”を放つだけ。その一方で、円高が進行して日本の企業は競争力を失いつつある。つまり、国力が落ちてきた。衰退しつつあるのは誰の目にも明らかになってきた。

 これでいいのでしょうか?まず、

1,制服の廃止
2,クラス解体
3,部活動の自由化

 この3点くらい即座にやらないと日本は終わる。臆病者には、神様は何も与えてくれません。


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