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【連載】今井隼人被告が語る“介護の闇”#7「今回は3件目のZさんの件について書かせていただきます」

#創作大賞2023 #オールカテゴリ部門
【事件概要】


2014年11から12月、川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で、80から90代の入所者3人が、4階と6階のベランダから相次いで転落死した。事件があったすべての日に夜勤に就いていたのは、同施設の介護職員だった今井隼人被告ただひとりだったこと、そして「3人をベランダから投げ落とした」との自供により、2016年2月、神奈川県警は今井被告を殺人の容疑で逮捕。

一転、今井被告は裁判では自供を覆し無罪を訴えた。

【今井被告が“介護の闇”を語るまでの経緯】

事件や裁判の経過とは別に、介護現場の実情を世間に問い、現状を見直す一助になればとの思いから、今井被告が介護に携わるようになった経緯から、逮捕までを書くことを依頼した。

本稿は、今井被告が介護現場で過ごした、約1年間の記録である。

※本稿は、今井被告から届いた手紙を文字に起こしたものです。なるべく原文ママでの掲載になりますが、一部、事実関係が損なわれない程度にこちらで修正しております

※すでに今井被告が上告を取り下げているため、今回は無料公開させていただきます

※今井被告にはすでに少なくない原稿料を払っています。サポートなどでご支援を下されば幸いです

【改めて事件(高齢者連続転落死)当日のことを詳しく書かせていただきます】

今回の原稿は、3件目のZさんの件について書かせていただきます。

Zさんの件があったのは、年末の12月30日から12月31日にかけてでした。

この日も私はや夜勤勤務でした。

相勤者は、先輩のOさんと後輩のTさんでした

先輩のOさんは真面目で仕事熱心な方だったように思います。対して後輩のTさんは、いたって普通な方という印象でした。

仕事についてまわりがどう見ていたかは、私はあまり気にしていませんでしたが、できる方として見られていた感じがあり、それが少しストレスになっていました。入社して半年が過ぎ、緊急対応もしていたので、だんだんと慣れてきていた時期でもありました。

Zさんは亡くなる前、独立歩行というか、主にシルバーカーを使って移動していたように記憶しています。シルバーカーを使わないと独立歩行するのが難しかったのかもしれませんが、Zさんの場合には、そもそも介助自体があまり入っていなかったこともあって、ご自身がどこまでできるのかが把握できていなかった部分があります。これは、介助自体も少なかったため、施設としても同じ認識だったと思います。

Zさんは、個人的には普通のおばあちゃんだったな、という印象ですが、その反面、感情の起伏が激しく、日によって動ける、動けないといった身体能力を把握しづらい、介助しにくいといった感じももっていました。(※認知症だったのかは、正直もう覚えていません)

例えば、感情ひとつで、その日、動ける範囲が決まってきてしまうところもあった方なので、本当に、その日、その日で違うなという印象がいまでも強く残っています。

そして、事件当日に「不可解」なことがあったのです。

当日は、普段通り15時30分頃には出社して、夜勤の準備を始めて、終わって、その後、夜勤(16時〜)に入り、23時から25時まで休憩をして、25時以降の介助に入りました。

(※なお、本公判にて、Tさんは、3件目のZさんの件について、私からZさんについての不穏行動に関する引き継ぎがあったと証言していますが、いまの記憶ではそんな引き継ぎはしていなかったと思います。しかし、既に書いたように、Zさんは不穏行動が多かった方でしたので、他の日のことと混同してしまっているのかもしれません)

話は戻して、25時から私自身のライン(介助)に入りましたが、6階に行った際、Zさんが6階廊下のソファにいらっしゃいました。

(※なお、Zさんが6階廊下のソファにいることは他の日にもあったので、不思議ではあったのですが、その延長線上として個人的にはとらえていました)

しかし、他の目配りがあったのため、6階ソファにいた浅見さんはそのままにして(一言、言って)待っててもらいました。

Zさんのことが気になっていた私は、他の目配りをして、Zさんを609号室に戻すか、601号室の目配りをするのか迷っていたのですが、結局、目配りで簡単に終わると思った私は、目配りをして、その後、Zさんを609号室に戻し、記録に書きました。

(※お戻しするときのZさんの様子は、力が抜けていて、重たく感じました。不穏で「どうにかしてよ」「ここどこ」「帰りたい」などとおっしゃっていたように思います。一言ひとことは、さすがに覚えていませんが、とにかく不穏でしたので、ソファからお戻しするのに2〜3分くらいかかった記憶がります。とても長く感じたのを覚えています)

Zさんを609号室にお戻しして、他の居室を回っていたところ、突然、601号室のナースコールが鳴りました。

601号室の入居者Hさんに認知症があったかどうかはちょっと曖昧なのですが、ご自身のことはできていた方で、深夜にナースコールが鳴るのはかなり珍しいことでした。

なので、ナースコールが鳴った時点で「かなり珍しいな」という印象をもったのです。4〜6階がメインの担当で、ナースコールを取った私は、601号室に訪室しました。

訪室してHさんの元へ近づいていったのですが、Hさんからは何のリクエスト(例えばトイレ等の)が出なかったのです。しかも、ナースコール自体については「押してないわよ」とのことだったのです。

この時点で不思議さを抱いていたのは事実なのですが、ベランダを見る勇気がなかったのです。

(Hさんとお話ししているなかで、居室のなかが寒いことに気づいて、その一連の流れのなかで居室の窓が開いていることに気がついたのです。それで、咄嗟に閉めてしまったため、外を見ることはありませんでした。おかしいかもしれませんが、実際にそうだったのです。私の判断としては、当時はそうだったのです)

まず、私がしたこととしては、6階の他の入居者について、誰かが入ってきてしまった(入った)可能性もあると思って、他の6階の居室を回ることにしました。(※601号室以外ということです)

6階の他の居室を回っていると、609号室の浅見さんがいないことがわかり、その他の居室は外泊の方や空き部屋は除いて、在室していることがわかりました。

それで、Hさんの発言と、Zさんがいないことが結びついた私は、怖くなって、相勤者のOさんに状況を報告したのです。(Tさんは休憩中だったような気がします)

すると、Oさんから1階の食堂で集合するように言われ、601号室をそのままにして、私は1階に降りました。

(※なお、601号室のHさんの目配りの介助の際に、本来であれば退室時には施錠しなければいけなかったところ、Zさんのことが頭にあったので施錠をするのを忘れてしまったのです。

なので、その後の、当時の警察の聞き取りもそうなのですが、601号室については施錠を忘れたことへの後悔があったので嘘をついていました。施錠をしていなかったときにZさんが入って、それが原因で転落したとしたら、自分自身が逮捕されたりするのかとも思ったりしたからです。施錠のし忘れは、それがけ大きかったのです)

1階に降りた私は、Oさんと合流をして、Oさんの提案もあって1階からではなく401号室に行くことにしたのです。

(※私は、当時から思っていたことだったのですが、1開出で合流をして、そのまま1階の裏庭から確認すると思ったのですが、それはせずに、逆にOさんは609号室の真下部分の確認をしたのです。

そして、4階に行くことになったのも、Oさんの提案だったので、その提案にビックリしたのですが、先輩であったので、それに従うことにしたのです)

403号室へ向かった私とOさんは、403号室のベランダから下を見たのです。すると、人影らしきものを発見したので、そのまま慌てて1階の裏庭に行ったのです。

1階の裏庭に行くと、Zさんが倒れていたので、私が中心となって心肺蘇生法をしたりしました。転落したのだと思っていました。

慌てていたので良く覚えていませんが、Tさんも、どこかのタイミングで来ていたて、浅見さんの足元で、浅見さんのお名前を言いながら泣いていました。

その後、救急隊が到着して、Zさんのことを引き継いで、私も病院に行くことになったのです。

そして、病院に到着後、浅見さんがまだ処置中だったのかは覚えていないのですが(確か処置中だったと思います)、警察から事情を聞かれたのです。

そしてZさんは亡くなってしまいました。

施設長も病院に到着して、ご家族にも当時の状況を説明したのです。私も説明した記憶があります。

施設へ帰った後も、業務が終わった後に、警察から事情を聞かれました。しつこく、というか、何度も繰り返し聞かれたこととしては、601号室の施錠の件でした。

(※なお、病院の霊安室では、私と施設長はご家族から「ありがとうございました」と言われました)

私はすでに書いたような心情でしたし、Zさんも亡くなってしまった後だったので、「絶対に閉めました」と言い張ったのです。

当時は、「施錠をしていない」とは怖くて言えませんでした。繰り返しますが、逮捕されるのではと思ったからです。

嘘をついてしまったことは、いまでも覚えていて、後悔もしています。601号室の施錠の件については、もっと落ち着いて必ずやるべきだったとの反省もあります。

3件目のときは、OさんとTさんとの相勤務だったのですが、勤務が終わった後は、2件目のように飲みに行くことなく、確かそのまま帰宅した記憶があります。

事故報告書や警察の事情聴取でかなり時間が遅くなって、それで疲れて帰宅したように思います。

これまで、1件目から3件目までの各事件について色々と書かせていただきましたが、特に3件目については、ナースコールやZさんがご自身の居室ではない居室から転落したと思われたこと、それに、Zさんの身長などから、自力での転落はかなり困難だと当時から思っていました。

Zさんが亡くなってから、どのくらい経った後かは覚えていないのですが、当時の同僚たちと飲み会の席などで、Zさんの件の話になったときに「かなり難しい」という話になったことは覚えています。それ以外はもう、はっきりとは覚えていません。

今回の原稿は、ここまでにさせていただきたく存じます。

今後は生い立ちのことを中心に書きたいなと思っていますので、どうかよろしくお願い致します。

令和5年 4月22日(土)
東京拘置所(内)
今井 隼人(イマイ ハヤト)

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