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根拠のない自信とはなにか
先日、アメリカにいる同期と電話をしている中で、人生右往左往あるよねという話をしていたところ、
「俺らって根拠のない自信だけは常にあるよな」
という話題で盛り上がったので、
今日はその正体について、生い立ちを追って考えてみた。
“小学生の頃から、誰もいない体育館が好きだった”
1人でシューティングしている自分を、なんか良いなと思っていた。この気持ちが多分、僕の原点である。
人よりも優れて何か成果を得たときではなく
人よりも頑張ってる事に高揚感を抱いてた。
単純に、人よりも努力している自分がかっこいいと思っていたんだとおもう。→(当時の僕)
もちろんやる以上は負けたくないし、
努力すればなんとかなるだろうという精神で、
物事を捉えていた。
だからこそ、中学校・高校時代も、
周りよりもと自分なりに努力した自負はある
しかし大学生になり、イチローの本から「秤りは常に自分の中にある」と教えられ、人と比べても無意味な事に気づいた。それから比較対象は他人から僕自身が思い描く、理想の自分へと変わった。
身の回りにいる5人の平均が自分になるとよく耳にする。
それほど環境に軸足を置く偉人が多い。
もし、人は身近にいる5人の平均なのだとしたら、
じゃあ誰を置くかを考えなければならない。
それほど環境にはこだわった方がいい。
シビアかもしれないが、成功したいならそういう世界。
そういった意味でも本は有能で、本を読めばその著者と会話ができる。
言わば、イチローの考えを知れる=イチローを身の回りに置ける。という事になる。
長くなったが話をまとめると僕の経験からは
根拠のない自信の根拠は、結果ではなく過程に着目できたこと。
にあると考えている。
例を挙げると
ピラミッド旅行を、計画したとする。
ピラミッドを、見る事が目的であれば、ヘリでピラミッドの頂上まで行けばいい。
しかしそれは誰もしない。
皆んなその過程のどうやって辿り着くのか、
どういう道のりなのかに興奮するのである。
人生もそれと一緒で目標を決めて、そこに至る過程にこそ人生の趣きがあるのではないだろうか。
先日地元仙台に帰省しました。地元の友達からプロなったね凄いねと称賛されましたが、一方でその過程を聞いてくる人は誰もいませんでした。その過程にこそ深い意味があるのに、、、、
ここから想定される通り、結果ばかりに目を向け、過程に目を向けない人が大半を占めるのではないでしょうか。
「根拠の無い自信」という得体の知れないものの正体はこの過程によっての期待される将来にあるのだと
僕は思います。
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