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脳血管のお掃除

家のワット数を下げる。
目に映るものを極力減らして、視覚情報を抑える。
テレビもつけず音楽もかけず、聴覚も休める。
ここ最近の僕のリセット方法です。

ワット数を下げる、といっても真っ暗にするわけではありません。
暖色のランタンを点けます。
最近のお気に入りはこれ。

MAXで明るくするとだいぶ照らされるし、1回の充電で長持ちするので、キャンプにもオススメです。

今日はこのランタンを照らし入浴しました。
沖縄では浴槽がない家も多く、湯船に浸かる習慣がない人も普通にいます。
僕も実家に浴槽はなく、湯船に浸かる習慣はありませんでした。
けれど埼玉出身の嫁さんの影響もあり、彼女が浸かる日は僕も浸かるようになりました。


ぼんやりオレンジ色に照らされた小さな風呂場。
張ったお湯に身体を沈めると同時に、いらない思考をとっぱらいます。
今日のやり残したタスク、明日の段取り、部下に嚙みつかれた日のこと、見えているだけで2週間後までは遅い残業。
脳の血管にこびりつき、巡りを悪くする不純物をとっぱらいます。
視覚、聴覚の情報を限りなく少なくし、とっぱらいます。
すると今日は小中高とティーンな思い出が甦ってきました。



毎日部活に励み、冬場は寒さの中走り回り、肺の中まで冷え切ってお風呂に入ったこと。
そんな日々が今とリンクし、かつての自分に想いを馳せる。
当時僕はどのくらい先のことを考えていたのだろう。
大好きな仲間と共に、瞬間、刹那を生きていた。
今振り返り、その時を羨ましく思うのであれば、先のことを案ずるのではなく、あの時のようにその日一日をいかに楽しむかを試みようと思う。
過去の自分を”幼い”と卑下せず、学びを得ようと試みようと思う。

空想は不規則に派生し、高校時代のクラスメイトに数年ぶりに会ったときに言われた言葉を思い出す。

「俺はお前のことが嫌いだった」

この年になってなんとも破壊力のある言葉を受けたものか。

「体育の時間にサッカーをしてさ、サッカー部だったお前は本気を出さなかったんだよね。パスに専念なんかしちゃって。そういうとこあるよね。できるのにやらない。俺はお前のそんなところが嫌いだった」

心当たりはあった。
言われたその日はビックリもして、「なんだってそんなこと言われなきゃいけない」とも思いもしたけど、
今となっては”嫌い”というその言葉も「お前はできる」というエールだったんだと思っている。

そしてこりゃまた高校時代よく聞いていた歌の一節を思い出した。

生き急ぐとしてもかまわない
飛べるのに飛ばないよりはいい

いろいろあった十代、もちろん悩みもあった十代。
けれど充実していた十代。
自分らしく生きていた十代。

多感と言われる十代を、そんなふうに生きてこれたことは幸せなことなんだと思う。
周りのみんなに与えてもらった満たされた気持ちの貯金は、きっとまた誰かに与えるためにあるんだと思う。
幸せにしてもらった僕は誰かを幸せにすることができると、一人ぼんやり宙を眺め、うすらオレンジの中ぽつん。


我に返り僕は湯舟の栓を抜いた。
水の行方が脳に続いているような感覚におそわれ、シャットアウトした情報を再び頭に流し込んだのでした。

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