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明日死のうと思ったのなら

明日死のうと思ったのなら、最後の気力と財力を振り絞って旅に行くことはできまいか?
旅は確かにエネルギーがいるし、勇気がいる。
けれど、絶やそうとしているその命の火を、どうせ死ぬならぱーーっと最後に火力を使い切ってはみないか?

もし自殺願望のある人がいたら僕はそう言いたい。
死をも覚悟した環境や出来事と対峙した人に対し、軽々しくモノを言ってはいけないとは思うけれどそれでもあえてそう言いたい。

死に場所を探しに、でも良い。
宵越しの銭は要らぬ、という半ば投げやりにお金を使い切るためでも良い。
まずは外に出てみてほしいなと思います。


人を自らの死に追いやるほどのコトとは何なのでしょう。
多額の借金や、過去の大きな過ちに苛まれたため、でしょうか。
いじめや挫折でしょうか。
想像ですが、多くの場合人間関係が原因なのかなと思いました。
その他、様々な理由で、家や学校・職場など自分がテリトリーとするエリアに居場所がなくなってしまったのではないかと。
”居場所がない”ということは、とてもとても辛いことです。


であれば旅に行ってみませんか?
旅で出会う人たちはあなたの過去のことを知りません。
人間関係も居場所作りも一から何度だって行えるのです。

僕は旅に出で、人々と触れ合い、ここに居ても良いんだという場所をいくつも作ることができました。

僕がアメリカ横断の旅に出かけたときは、就職を考えなければいけない学生でした。
泊まったYouth hostelのお母さんが「どこも働き口が見つからなかったらウチにいらっしゃい」と言ってくれたことが当時の僕をどんなに楽にしてくれたか。

沖縄出身の僕は、沖縄県人会を回り、沖縄人(ウチナーンチュ)というアイデンティティは沖縄じゃなくても保ちながら生きていけるということを知りました。

ベトナムのモン族も僕を受けれてくれました。
深く信頼しきっている人に囲まれて生きている彼ら。
僕もその一員になれたらと何度も想像しました。

世界にたくさん居場所があるということは生き易さを生みます。
"世界は広い"という実感は物理的な広さではなく、居場所の数を作ってきた人が実感できるものなのかもしれません。


今まで常識と信じていたことがある場所では常識ではなく、世界には様々な常識があります。
”こうじゃなきゃいけない”は虚構です。
あなたのままで受け入れてくれる居場所はきっとあるはず。


僕の旅への想いを、生きることを諦めようとしているあなたへのエールに変えて。


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