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”してもらう側”と”してあげる側”との間にできる優劣を作りたくない ~カンボジア編~

それは悩みながらの訪問でした。 
僕が訪問することで子ども達に戸惑いを与えることはないだろうか。 
この旅で何度も考えたことでした。

少なくとも僕が旅した2012年時点では、世界の中でも最貧国の部類に入るカンボジアの経済は、各国からの援助で成り立っている一面がありました。
ストリートチルドレンや児童労働、人身売買などの社会問題の国の対応も、行き届いてはいないケースも多々あると聞きました。 
ことさら大きな社会問題を考える時、当事者の顔はどうしても大きくぼやけてしまいがち。
僕は孤児院を訪ねて子どもたちと直に接することで、「ストリートチルドレン」とひとまとまりで呼んでしまっている子たちを、ひとり一人の顔を思い浮かべながらそれぞれの名前を呼べるようになりたかったのです。 

しかし、宿でストリートチルドレンについて調べている時、僕の希望を揺るがす記事をとあるwebページで見つけました。 
その記事のタイトルは「CHILDREN ARE NOT TOURIST ATTRACTION(子ども達は旅行者のための見せ物じゃない)」

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好奇の目で見られ、パシャパシャと写真を撮られることは決して気持ちよくはない。 
幼く脆い心の子なら尚さら精神に与えるダメージは大きい。

僕はよく見ます、正しいことをしていると思っている人たちの怖さを。
僕は知っています、人は“正しさ”を武器に攻撃をする時、その他の人に対して非情になれることを。

正義の剣は攻撃力を増すのです。

孤児院の訪問。
それは、端から見て“正しい”ことをしていて、でもその事で誰かを傷つけてしまいやしないか。 
そんな不安を抱いていました。


不安は払拭できないまま、僕は孤児院を訪れました。
しかし、施設に入ってすぐの子ども達の一声に僕の不安は一瞬で吹き飛びました!
あまりに元気で、そして気持ちよく僕を迎えてくれたのです。
日本語の勉強時間もあるこの孤児院では、日本語が話せる子どもがたくさんいました。

「名前はなんていうの〜?あたしは○○っていうのぉ」
「どっから来たの〜?」
「ねー遊ぼうよ〜」

ごちゃごちゃ考えるよりも僕は子ども達とじゃれ合うことに集中しました。 
彼らと自己紹介をして、男の子とはサッカーやバレーをして、女の子とお喋りやゴムだん、折り紙をして、彼らの授業の様子を見学し、伝統舞踊を見せてもらい、様々なことをして彼らと時間を過ごす事ができました。

今はそれで良い気がしました。

けれど訪問前の一抹の不安が本当にぬぐえたのは、孤児院訪問の時間を終えた後のことでした。
日本人のスタッフさんに宿の近くまで送ってもらいながら、いろいろお話をしたときのことです。

「支援をしているというより、友達を助けているという感覚に近いかもしれませんね」

会話の流れで彼はそう呟いたのです。
友達を助けることになんの理由もありません。
ごちゃごちゃ考えることはありません。

世界のどこかで今も行われている正義の支援。
誰かが誰かを助ける時、助ける側と助けられる側で優劣がつきませんように。
この孤児院にはそれがありませんでした。

僕はといえば、
「一番チビのメーサーはどうしているだろう。甘えん坊のスレイヤーは?緊張していた僕の事を気にかけてくれた、兄ちゃんはだのラヴォとまた会いたいな」
そんなことを思えるのが、孤児院訪問で得た財産でした。

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